第6回 人と人が認め合える、優しくなれるVRを目指して

 本当に人は自分が置かれた立場から離れてものを見るのが難しくできている。

 だから、知識としては分かっていても、人種差別だとか、その他の偏見だとか、ヘイトの種みたいものがあるし、種だけならともかく、実際に、まさにそのような行動を取ってしまうこともある。ぼくたちは知識と想像だけでは、実感をもって体験できないことが多い。また、喉元をすぎると、ひとたび得たはずの「実感」も忘れがちだ。鳴海さんと話していて象徴的だと思ったのは、「子どもの頃」の話。

「すべての大人は、かつて子どもだったわけですけど、大人になると子どもの頃のことを忘れちゃいますよね。でも、VRを使うと、大人だったり子どもだったり、その場で切りかえることができます。それを、即座に切りかえることによって、大人であり子どもであるみたいな気持ちを新しく作ることができるわけですね。そうすると、やっぱり人の思考のパターンも議論の仕方も変わってくるかなと思っていまして」

 すぐれた小説や映画は「体験」を提供することがあるけれど、鳴海さんが考えるVRやARはまさにそこに向かってエンジニアリングの粋を集結しているわけだ。クロスモーダル研究や、身体化情動の研究など、手持ちの道具を研ぎ澄まして体験のプラットフォームとして機能するようになった人工現実感・拡張現実感の世界で、ぼくたちは、走り、登り、笑ったり泣いたりしつつ、別の人のリアリティを体験できる……。それって、RPG(まさにロール〈役割や立場〉をプレイするゲーム)だ。日常的にRPGできる世界で、ぼくたちは「行動を変える」ことができるだろうか。

 最後の最後に鳴海さんは、「ちょっと変な言い方ですが」と切り出した。

視覚については、ぼくたちはVRですでにリアルな体験を味える。
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