第5回 私たちは今どのように嘘と付き合えばいいのだろうか

 こんなふうに「嘘力が弱まり」「正直礼賛にもほどがある」社会を象徴するものとして、村井さんは、小学校の教科書と教材集を机の上にぽんと置いた。

 この4月から教科になり、教科書も刷新された「道徳」だ。小学3・4年生のものだった。開かれたページでは、「正直」「嘘をつかない」ことの大切さが訴えられていた。

 いわく、「正直な心で自分をかがやかせよう」「正直でいようとすることが大切だ。そんな君は、いつも明るく元気にかがやいている」などなど。

「嘘ついたほうがいい場面なんかいっぱいあるのに、もう紋切りで『正直イズベスト』みたいなかんじですね。『自分に正直になれば心はとても軽くなる』って書かれていますけど、そうした『決めつけ』に加えて、心が軽くなることをそんなに奨励するなよって思いますよ。心をそんなに簡単に軽くしちゃだめです。正直はよい、プラス、心が軽くなることはよい、というわけで二重にダメです。これ、自分本位な人を育てませんかね。自分の心が軽くなるからということで正直に振る舞い、それが原因で相手の心が重くなることは当然ある。相手のことを考えながらいろいろ悩むことが重要なのに、悩む前に正直であれと言っているわけですから。もちろん、教科書をどのように運用して授業を展開するかということで変わってくる面はありますが」

 多くの社会で正直であることが奨励され、嘘つきは嫌われる。日本では「嘘つきは泥棒の始まり」とまで言われる。その一方で、「正直」を押し通そうとする人は、社会的にとても苦労する人たちでもあるだろう。普通に生活するだけで、人は何度も嘘をつく機会がある。その多くは、「正直」ではないにしろ、無用な摩擦を避けたり、不用意に自分や他人を傷つけるのを防ぐためのものだろう。さらに、人は他人の嘘を見破るのがとても下手だという事実も実験で繰り返し確かめられてきた。こういった事情の中に「嘘」は微妙なかんじでふわふわ浮かんでおり、その機微こそが大事なのかもしれない。