第5回 私たちは今どのように嘘と付き合えばいいのだろうか

 村井さんは、嘘の定義や分類だとかには「あまりワクワクしない」と言うし、むしろ、今の心理学で扱える範囲をはるかに超えたスペインでの「だまされ体験」のような、現実社会でダイナミックに躍動する嘘、みたいなものへの関心が強いというふうに感じてきた。

村井さんの編著書『嘘の心理学』。この分野に興味のある初学者には、とても参考になる1冊だ。
村井さんの編著書『嘘の心理学』。この分野に興味のある初学者には、とても参考になる1冊だ。
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 村井さんの大学院生時代からの研究リストを見ていると、「話し手と聞き手の関係が発言内容の欺瞞性の認知に及ぼす影響」とか「強調語が発言内容の欺瞞性認知に及ぼす影響」とか「公準の複数違反で欺瞞性は高まるか」といった一連の研究に目が引きつけられる。

 これらをざっくり言うなら、「嘘っぽさ、あるいは、本当っぽさを、どういうふうな要素が増強したり減じたりするのか」を追究しているように思える。ぼくが訪ねた時点では、女性の見た目の良し悪し(美醜)が、発言の本当らしさに影響するかどうかという実験のための準備をしていた。同じ人がメイクアップして語る場合と、あえて悪いメイクをして見た目を「ダウン」して語る場合とを比較する。

 こういった一連の研究は、欺瞞(本稿の中では「嘘」)をめぐって、人間とはどんな存在なのか外堀を埋めていくような研究だと感じた。

 と同時に、村井さんが例としてあげた「スペインでのだまされ体験」のような、総合芸術的な嘘を理解するには、外堀すら当面埋まらなそうな予感も浮かび上がる。村井さんの言うとおり、「心理学は現実の後をついていく」(それもずっと後から!)ということなのだろう。

 では、いまだ科学として取扱うことが難しい現象に対して、村井さんはどんな意見を持っているだろうか。現代社会における「嘘」について、「科学の限り」を尽くしつつも語り得ない領域について、あえて語るとしたら──。

「それはつまり、私の主観になってしまいますが」と前置きしつつ、村井さんは言葉を選んだ。