第1回 新宿歌舞伎町から始まった裏社会取材
僕が海外の危険地帯と呼ばれるエリアに行くようになったのは、大学時代に安宿で出会った世界中のバックパッカーたちの影響もあるんです。彼らからおもしろい旅の話を聞くようになって、旅に対する見識が広がりました。できるだけ金をかけずに旅をしようとするとスラム街にあるような店や宿を使うことも多いし、いわゆる危険エリアとよばれるような場所に足を踏み入れるようになっていたんです。
――大学では何を勉強していたのですか?
考古学者になるのが夢で考古学を専攻していました。しかし、そちらの道に進みたかったのですがかなわず、就職もできずで、数年は日雇い労働で生活していました。そのうちに恩師から就職を勧められてガテン系の会社員になったんです。勤務先の近くにたまたま同級生が勤める出版社があったのですが、彼との再会がデビュー作を書くきっかけになりました。
――デビュー作は『アジア罰当たり旅行』(彩図社刊 2005年)ですね。
ええ。ある日、その同級生とばったり会って、一緒に飲みに行った席に、出版社の編集長も来ていたんです。若いころの旅の話をしたら、本にしてみたらどうかということになって『アジア罰当たり旅行』を書きました。
文章を書くなんて初めてだったし、しんどかったんですね。そのときに気づいたんです。自分で書くより、人に書かせるほうが楽なんじゃないかと。で、その後にビジネス書の出版社に入りました。