第2回 若き日の教皇フランシスコ

 2013年3月14日の朝、米国ワシントンDC郊外のショッピングモールのベンチで、中年の男が声をあげて泣いていた。男はすすり泣きながら妻にタブレットを差し出した。「このニュースを見てくれ。ホルヘ神父が教皇になったんだ」。

 半世紀近く前の1964年、男はアルゼンチン・サンタフェ州のインマクラーダ・コンセプシオン学園で、後の教皇フランシスコ、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオの生徒だった。ホルヘ神父と慕われていたベルゴリオは、文学と哲学の教師にはとどまらず、生徒の家族のことを気にかけ、生徒と夢を語り、サッカーや女の子の話題をともに楽しむ27歳の新米教師だった。

教会暦で最も神聖な日とされるクリスマスの日に、2014年の降誕祭メッセージ「ローマと全世界へ」と祝福を伝える。(Photo by Dave Yoder / National Geographic)
教会暦で最も神聖な日とされるクリスマスの日に、2014年の降誕祭メッセージ「ローマと全世界へ」と祝福を伝える。(Photo by Dave Yoder / National Geographic)
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 ベルゴリオは彼のよき相談相手だった。ある日、その生徒は、勇気を振り絞って抱えている悩みを打ち明ける。股間の病気のせいで将来子どもが持てないかもしれない、サッカーをすることで病状が悪化するのではないか……。当時15歳の彼は、将来、普通の生活が送れないかもしれないと思い詰めていた。

 ベルゴリオは、いつものように親身になって話を聞いてくれた。そして少年に大丈夫だよと声をかけると、彼の症状について書かれた本を集め、その分野の専門家にまで当たってくれた。こうして少年は何も心配いらないことを知る。それから約15年後、ベルゴリオはその生徒の結婚式を執り行ってくれ、やがて子どもが生まれると、長女と次女に聖体拝領の儀式をしてくれた。

 こうしてかつての生徒も孫のいる年になった。だが、今またふたたびあの頃の少年に戻って、地球上で最も有名となったかつての恩師の思いやりに、心から感謝の涙を流しているのだった。

弟のオスカー(右)とともに写真に写る少年時代のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。5人兄弟の一番上だった。(Photo by Filippo Fiorini/Demotix/Corbis)
弟のオスカー(右)とともに写真に写る少年時代のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。5人兄弟の一番上だった。(Photo by Filippo Fiorini/Demotix/Corbis)
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 1929年、ベルゴリオの祖父母は、息子のマリオとともに、イタリアから今後の経済発展が見込まれるアルゼンチンに移住。マリオは、会計学の学位を得て大学を卒業したばかりだった。1935年、マリオはイタリア移民の娘レジーナ・マリア・シボリと結婚。1936年12月17日には待望の第一子を授かるが、それが5人兄弟の長子となるホルヘ・マリオ・ベルゴリオだ。

 ベルゴリオの一家は、つましいながらも平穏な暮らしをしていた。苦労といえば、5人目の子どもを産んだ後に、母親が一時的に下半身麻痺に苦しんだ時くらいだ。そのとき母はベルゴリオに料理を教え、ベルゴリオは家族のために腕をふるったという。会計士の父は、早い時期から息子に働くことの意義を教え、ベルゴリオが13歳になったとき仕事に就かせる。自分の事務所の隣にある靴下工場でのアルバイトだ。フローレス地区に住む少年たちの例にもれず、ベルゴリオもサッカーが大好きで熱中した。

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