第5回 人はなぜ遺影を飾るのか、動画は遺影になるか

「明治・大正の頃によく作られた葬儀写真集というのがあります。1回の葬儀でひとつ写真集を作るわけです。私、元々、別の目的で集めていまして、たぶん日本で一番のコレクターだと思いますけど(笑)。たとえば、これなんか15代の住友家当主の葬儀写真集とか、明治36年(1903年)に亡くなった小説家の尾崎紅葉のものなんかが興味深いです」

 尾崎紅葉の葬儀写真集は、たしかに興味深い、というか衝撃的だった。

[画像のクリックで拡大表示]

 今で言う遺影的なものはあって、上に戒名が綴られている。ここにはなんの違和感もない。

 ページを繰ると、壮健時、というキャプションが付けられた写真がある。葬儀写真集に、元気な時の写真が掲載されているわけだ。これも……分からなくないかもしれない。もしも、今、だれか亡くなった方を偲ぶ冊子を作るとしたら、壮健時の写真を掲載するのは充分アリだろう。

 しかし、さらに進むと、ちょっと感覚が変わってくる。山田さんが指差す写真に、ぼくの目は吸い寄せられた。

「壮健時から始まって、次は『入院中』。しかも、今度は『退院後』。やせてるんですよね。で、『往生』まである。そして、『解剖』」

ページ上から「退院後」「往生」「解剖」。山田さんの論文「近代における遺影の成立と死者表象」の1ページ。
[画像のクリックで拡大表示]

 ええっ! 解剖!

 ショッキングにもほどがある。実際の掲載写真は、人がたくさん集まっていて、解剖中の遺体は写っていない。この時代なりの撮り方、あるいは、編集方針で、ここから先はダメと線を引いたようだ。

「このシーンって、何も尾崎だけ特別じゃなくて、他にもあるんです。で、その後に、『葬列』があって、その次に『青山』。青山墓地ですね。結局、葬儀写真集って、壮健の時から葬儀が終わるまでのプロセスを載せる。今でいう遺影もその1つだったんですよ」

 なにかびっくりしてしまい、言葉を失った。

 尾崎紅葉といえば『金色夜叉』。俳人としては、正岡子規と並ぶ新派。

 くらいのことしか知らないが、この若くして亡くなった文人とこんな形で再会することになろうとは思いもしなかった!

 ちょっと内心取り乱しつつ、先へ進む。