「元に戻れというのはたぶん無理でも、人間ってそんなに想像力豊かじゃないので、結局、過去のものをリアレンジ(再編成)しながらやるしかないと思います。だから、やはり、歴史は見ておく必要はある。儀礼の力っていうのは、ある意味、死者、亡くなった人とのコミュニケーションをとれるということです。個人化された中で、どんどん葬儀の義務が家族だけに絞られて、それ以外はやる必要がない。一方、それすらなされない人たちが出てきて、そのあぶれる人たちをどうやって、何とかいろんな関係の中でつながりを持たせていくのかとか、生前の問題からだとは思うんですけど」

 山田さんとお話をしていると、このあたりで必ず、死んだ人と送る人、そして、まだ死んでいない人の課題がひとつに繋がった形で出てくる。ぼくはこの章を、送る側と送られる側のそれぞれの課題、みたいな構成で描こうとしたが、それは一見すっきりしているようで、どうも「あいだ」にあることを削ぎ落としてしまうことでもあると感じるようになった。

「日本の仕組みって、すごい便利なんですね。最近、東北大の宗教学の鈴木岩弓(いわゆみ)先生も言っているんですが、どんなご先祖様でも33回忌で弔い上げて忘れていいんだと。先祖代々っていう言い方で覚えてるよ、だけど、個別の山田慎也は覚えてないよ、と。その緩やかな忘却を、どう今の社会の中でつくっていくのか。儀礼っていうのは、結局、ここまでやったから、死んだ人はもうこの世の存在ではなくて、違う人たちなんだっていうのを、みんなが『そうだよね』って認識していく作業です。そのシステムが崩れたとき、死者を受け止めるのはあくまでも個人の作業になりますから、ある人は、いつまでも引きずってしまう。ある人はもう、初めからいないもんだと進めていく。この二極化が起きている。いつまでも個人の作業として続いていくという点では、本当に問題かなと思います」

 その一方で、山田さんがふと思い出したように強調したことがあった。書架を指差して言うのである。

過去のものを再編成しながらやるしかない。だから、やはり歴史は見ておく必要はある、と山田さん。
[画像をタップでギャラリー表示]

この連載の前回の
記事を見る

この連載の次の
記事を見る