「結局、今まであまりに家族や親戚、地域でやっていたものが、急速に小さく個人化したときに、受け皿がないわけです。でも、今の政府はあくまで家族で負担しなさいという流れらしいです。特に今、保守的な人たちっていうのは、家族が重要だとか言いますけど、もう昔には戻らないですよね。今さら」

 これだけの調査を積み重ね考え続けている山田さんにしても、決定的な回答を持っているわけではない。ただ、今後の制度を描く出発点としての思いは語り得る。

「死んだ後のことはわからないからっていう言い方もあるんですけど、ちょっとそれは寂しいかなと。今まで生きてきた人が、誰かが悼んでくれるというか、また悼む時間、もしくは空間は、誰もが持たなきゃいけない。それは何らかの、どんなに孤独な人であっても、やっぱり誰かと関係は多分持っていて、その人が、ああ、あの人亡くなったなって言って悼める時空間をどこかで持つ。いつまでも覚えている必要はないけれど、その時には悼む。そういうことが大事だと思います」

 亡くなる前の人が、自分を悼んでくれる人たちのことをイメージできるかどうかは、とても大事なことだ。死出の旅は、やはり、孤独でいたくない。もちろん「死ぬ時は一人」だが、生前に培った関係の中で、「じゃ、お先に」と誰かに心のなかで伝えたい。そう思えた方がいいに決まっている、とぼくも思う。

 一方、送る側にとってはどうか。

「死んで終わりだとしても、残された人にはそう簡単に済まない。特に家族であれば。そうしたときに、儀礼がそれなりに意味を持つ。死者を偲ぶというのは基本的に心でやるんですけど、それで気が済まないときに、例えばお線香1本あげるとか、そういう行為があるだけで、いくらか気が落ちつく。そうした仕組みが、実は社会の中にいろいろあった。例えば事故現場に花やジュースが置かれてるのは、そうした心のあらわれのひとつなんですよね。でも、そういった仕組みが、どんどんなくなっていく中で、新たな道具は、あんまり見つけられてない」

 では、どうすればいいのか。やはり、失われたものを取り戻す方が現実的ではないのか。

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