「つい最近、インドに行ってきたんですが、インドでは人が亡くなると現世にまた再生すると考えます。それで、現世のさまざまな業をなくすために、ガンジス川で浄めて、死者をいかにしてあの世に、いい世界に行かせるか努力するわけです。遺体は抜け殻で、死者は転生するので、墓は必要ないのです」

 なるほど。日本でも「生まれ変わり」が信じられているようにも思うが、少なくともお盆になると先祖は帰ってくることになっているし、墓・仏壇の類に手を合わせれば、死者は語りかけられる存在として意識できる。生まれ変わるとしても、随分先のことなのだろう。

「日本では、死者は身近にいて、33回忌の弔い上げぐらいまではずっとそうです。中国は、日本以上に死者の存在がリアルな世界で、来世もお金が必要だからいっぱいお金を燃やしてあげようとかいう意識が出てきます。これ見てください。ベトナムのバイク。紙でできた模型です。要するに中国文化から影響を受けて、来世も現世と同じ道具が必要だっていうことで、今だとパソコンからスマホから、何から何まで持たせなきゃいけない。一緒に燃やしてあげるんですよ。ベトナムでは、バイクは必需品なので」

 山田さんが見せてくれた紙のバイクは、おもちゃのようで、そんな深い意味があろうとは、言われなければ思いもしない。

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左がその紙のバイク。右は研究室に置かれていた各国の骨壷などの資料。手前中央の車はチェコの霊柩車。

「さらにいいますと、ヨーロッパの人たちなんかにとっても、やっぱり死者は記憶の中の存在であり墓は重要ではないんです。ただ、キリスト教では、死んだ人もいつか復活しなきゃいけないので、基本的に土葬。もっとも、プロテスタント系は早くから火葬を認めていますし、カソリックも70年代にはやっとバチカンが火葬を認めました。だから今では、土葬へのこだわりは以前ほどではないようですね」

 こういうふうに聞くと、葬式をあげて送った後で、墓参りをして手を合わせたり、何回忌だとかなんとか言っては供養して、死者を身近に感じてきた日本の社会は、それなりに特徴あるものなのだと思えてきた。

 と同時に、ごく自然に疑問が湧いてきた。

「どうして、山田さんは、人の死と葬儀に興味を持ったのですか」と。

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