さて、本題。

 日本の葬儀が変容しているという。と同時に「死」についての受け止め方も、大いに変わってきており、ある意味「混乱期」にあるのではないかという。

 キーワードを挙げるなら、「死の家族化・個人化」、さらに「孤立化」。

 そのような状況を見つめつづけ、問題提起しているのは、国立歴史民俗博物館、通称歴博の山田慎也准教授だ。なかなか可視化しにくく、言葉にもしにくい葬儀を、民俗学の立場から研究してきた。

 歴博は、千葉県佐倉市にあって、歴史や民俗をテーマにした6つの大きな常設展示室を持つ。首都圏では最大規模の(つまり日本でも最大規模の)考古学・歴史・民俗の総合展示機関だ。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館。日本でも最大規模の博物館だ。
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 研究棟に山田さんを訪ね、葬儀や死にかかわる書籍、資料に囲まれる中で向き合った時、ぼくはしばし逡巡した。心がざわざわするこのテーマについて、ぼくは色々なことを聞きたいわけだが、しかし、あまりに掴みどころがないのも事実で、どこから伺えばいいのか分からない。

 最初に口から出てきた質問は──

「世界的に見て、我々の社会の葬儀や死って、どんな位置づけにあるんでしょうか」というものだった。

 山田さんは、2008年くらいから難聴が発症したとのことで、ぼくのほうに補聴器を向けて聞き取ると、おだやかで、同時に張りのある声で話し始めた。

「日本はわりあいと、死者はまだ『存在している』って意識のところですよね。それが今、急速になくなってきているので、それに慣れてきた日本の人々がどう対応していくのか、多分、しばらくは混乱期にあると思うんです」

 日本での死と死者についての考え方を、山田さんは「死者はまだ存在している」と表現した。もちろん、観念として存在しているという意味だ。

民俗学の立場から日本の葬儀と死生観の変容を研究している山田慎也准教授。
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