幼い頃、葬式には、かったるい印象を持っていた。

 身近な誰かが亡くなって悲しいのだけれど、葬儀自体はかったるい。お経は、飽きる以前に意味がわからないし、黒い服を着た人がたくさん集まって「大人の話」ばかりしている。線香の匂いは、好きじゃない。そんな記憶が漠然とある。

 ぼくの両親はともに関西出身で、1974年に家族で千葉に移った。新居は新興住宅地だったからお年寄りはおらず、近所の葬式に出た記憶がない。親類関係も、たまたま高校受験の年に祖母が亡くなったため、両親は「あなたは来なくていい」とぼくを残して「里帰り」してきた。十代の頃、ぼくが出席した葬儀は、交通事故の犠牲になった級友のものだけだ。

 21世紀になって父が亡くなった時には、さすがに送る側として中心的な立場になった。しかし、父は仕事をとっくに引退し特別養護老人ホームで生活する身だったから、集まったのは近親者のみだった。母が選んでおいた葬儀社がうまく仕切ってくれて、こちらは流れに乗っていればよかった。印象的だったのは、ふだんは顔を合わすことがない「孫」たちが、久しぶりに会って楽しそうにしていたことだった。葬式は孫の祭り、と印象付けられた。告別式も通夜も式場で行い、ぼくは遺体の隣の部屋で眠った。火葬が済んだ後、遺骨、遺灰は、とても大きな骨壷に収められた。関西出身者が、関東で葬儀をすると、骨壷のサイズに驚くことが多いと聞いた。市営の霊園に墓を作り、納骨した。

 ほかにも記憶を探れば、会社員だった頃の職場の大先輩、PTA役員をしていた頃の会員(保護者)など、葬式の記憶はあるにはあるが、いずれもそれほどよく知っている人ではなく、「会社から供出された戦力(受付など)」「PTAを代表して」といった参画度の浅いものだった。

 だいたい半世紀くらい生きてきたぼくが経験してきた葬儀は、どちらかというと薄っぺらい。

 さて、みなさんはどうだろうか。もっと濃厚な体験をした人も、もっと希薄な人もいるだろう。いずれにしても、そういったことを思い出してもらえれば、この先を読んでいただく準備になる。

本誌2016年4月号でも、独特な葬儀と死生観をもつトラジャの特集「インドネシア 亡き家族と暮らす人々」を掲載しています。Webでの紹介記事はこちら。フォトギャラリーはこちらです。

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