第1回 どうなる? 日本の「死」と葬儀

 なかなか視線の届かない部分だ。というか、忌避する気持ちもあるかもしれない。それなのに山田さんは、あますところなく見つめ、語ろうとする意欲に満ちている。

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「それ、私が子どもの頃の経験から話すことになりますね」と、山田さんは言った。

「研究以前」のお話を聞くことになったわけだが、実は、それが、山田さんの研究を知る最短コースでもあるとすぐに悟った。

「私は1968年生まれで、育ったのは埼玉の旧宿場町。3世代同居が当たり前の地域で、うちもそうでした。すると、近所で年1回ぐらい、どこかで知っている人が亡くなるんです。近所のおじいさんとかおばあさんとか。当時はまだ自宅葬が当たり前だったので、近所の人たちが色々な噂話をしながら裏で働いて葬式を出すんです。表の儀礼が粛々と進む世界と、裏でバタバタバタとお祭り的にやっていく世界。子どもながらに、なんでこんなにお祭り的な要素があるんだろうというのを不思議に思ったり、一方で、なぜお葬式ってこう飾り立てるのかと思ったり。祭壇を飾って、花輪がバーッと並んで、日常的な空間が急にある意味異様な空間、普段と全く違う状況に変わっていくっていう、その不思議は何なんだろうみたいな疑問を持っていました」

国立歴史民俗博物館の展示より。山田さんが担当したコーナーだ。
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 死や葬儀に対する、この瑞々しい感覚は特筆すべきだ!

 山田さんは、1964年生まれのぼくと、世代的にはほとんど変わらない。ぼくが、「かったるい」と思っていたものを、かくも好奇心旺盛に捉える子だったからこそ、今につながっていると納得する。

 いたく感心するとともに、お話の中に出てきた「当時はまだ自宅葬が当たり前」という言葉に、はっとした。

 たしかに、ぼくが幼いころに体験した葬儀も自宅葬だった。自宅に祭壇を作り、遺体を安置し、お坊さんが読経し……という流れ。それが、21世紀になって自分の父を送った時には葬儀場を使った。自宅を使うことも出来たのだが、母が望まなかった。そういえば、会社員時代も、PTAの役員の時に出た葬儀も、それもすべて式場だった。

 たしかに、葬儀は変わってきている。

 では、どんなふうに?

 自宅か式場か、という問題だけではないはずだ。

 と同時に、ぼくたちの死についての感覚、ひいては死生観のようなものがどう変わりつつあるのか。それも気になる。山田さんに伺っていこう。

つづく

山田慎也(やまだ しんや)

1968年、千葉県生まれ。国立歴史民俗博物館准教授および総合研究大学院大学准教授を併任。社会学博士。専攻は民俗学。葬送儀礼の近代化と死生観の変容を主な研究テーマとする。1992年、慶応義塾大法学部法律学科卒業。1997年、慶応義塾大大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学後、国立民族学博物館COE研究員、国立歴史民俗博物館民俗研究部助手を経て、平成19年8月に現職となる。単著に『現代日本の死と葬儀 葬祭業の展開と死生観の変容』(東京大学出版会)、共編著に『変容する死の文化 現代東アジアの葬送と墓制』(東京大学出版会)、『冠婚葬祭の歴史』(水曜社)、『近代化のなかの誕生と死』(岩田書院)などがある。

川端裕人(かわばた ひろと)

1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、少年たちの川をめぐる物語『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、天気を「よむ」不思議な能力をもつ一族をめぐる壮大な“気象科学エンタメ”小説『雲の王』(集英社文庫)『天空の約束』、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』(ともに集英社文庫)など。近著は、知っているようで知らない声優たちの世界に光をあてたリアルな青春お仕事小説『声のお仕事』(文藝春秋)。
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 ――日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP)、「昆虫学」「ロボット」「宇宙開発」などの研究室訪問を加筆修正した『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)がスピンアウトしている。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。