第8回 科学のお作法

 科学の「お作法」の話をしよう。お作法というとなんだか堅苦しいイメージですか? たとえば茶道のお作法。僕も半年間だけ習ったことがある(10年近くアメリカに住んでいた僕は、帰国した当時、日本的なものに飢えていたのだ)。確かに茶道のお作法はきびしい。お茶わんなど道具の扱い方はもとより、部屋に入るのは左右どちらの足からか、たたみのへりから何cm離れてすわるか、などなど細部にいたるまで作法が決められている。

 しかしそれは、なぜだか僕にとって心地の良い世界だった。すべては「おもてなし」を提供する側と受ける側が、気持ちよく交流するためのルールだから。ひとつひとつの作法の意味を説明してもらうと、なるほどどれもちゃんとした理由があり、作法を守ることで、優美さ・敬意・メリハリなどを効果的に示すことが可能だ。そして日々のお稽古によって作法を身に付けることができれば、いちいち背後にある理由を考えなくても、自然に良いおもてなしを提供したり、それを気持ちよく受けたりすることができるようになるというすぐれものだ。

 科学のお作法も同様だ。作法を守ることで、僕らは科学者らしくものごとを考え、検証し、発表することができる。作法を守ることは、研究者自身にとっても価値のあることだし、僕らの研究をチェックする同業の研究者にとっても、僕らの研究を使って社会を良くしようと思ってる人たちにとっても、非常に有益だ。科学のお作法も、茶道のように事細かに決められている。そのひとつひとつに意味はあるのだが、僕ら科学者は、いちいち考えなくても、自然と作法に沿って思考し行動するように稽古を受け、訓練されている。

 「ウソを言ってはいけません」「盗作してはいけません」「意図を曲げた引用をしてはいけません」「他人が再現できるように情報を開示しなさい」「おなじ結果を二重に発表してはいけません」「言葉の定義を明確に」「できるだけ数字で書きなさい」・・・科学のお作法は数多い。どれも当たり前といえば当たり前。科学者同士は、お互いが共通の作法を守っていると信じたうえで議論をする。だから、議論の本質に集中することができる。「そもそも、この人ウソついてない?」なんて考えちゃうと建設的な議論はできないよね?みんながモラルを守っているという前提。こうやって科学は発展していくのだ。

科学ってなに?―客観性とは

 科学者という職業には、勤勉な努力と冷徹な客観性が求められる。その一方で、いろんな意味でエキセントリックな人も多いという、正反対の特徴もある。ひとつの逸話を考えてみよう。

 19世紀のドイツの科学者ケクレは、ベンゼンという物質の構造について悩んでいた。当時、ベンゼンは炭素原子を6個ふくむことまでは分かっていたのだが、その6個がどのように並んでいるのか、いくら考えても彼には分からなかった。あるとき彼は夢を見た。夢にはヘビが出てきた。そのヘビは、なぜか自分のしっぽにかみついた。ひも状の体を持つヘビが自分のしっぽにかみつくと、そのかたちは輪っかになる。