第6回 生物進化とこころ―自然と人との関係を問い直す

自然淘汰は生物を進化へと突き動かす。たとえば樹木は、あいている空間を求めて枝を伸ばす。日光をたくさん浴びて光合成するためだ。競争に負けて他の木の陰になるとうまく光合成できず、死が待っている。かといって、強度の低い枝をやみくもに伸ばしたのでは、嵐のときに折れてしまうだろう。適応度を上げ自然淘汰で残るためにギリギリのバランスで進化するその様子は、まさに軍拡競争にたとえられる。
自然淘汰は生物を進化へと突き動かす。たとえば樹木は、あいている空間を求めて枝を伸ばす。日光をたくさん浴びて光合成するためだ。競争に負けて他の木の陰になるとうまく光合成できず、死が待っている。かといって、強度の低い枝をやみくもに伸ばしたのでは、嵐のときに折れてしまうだろう。適応度を上げ自然淘汰で残るためにギリギリのバランスで進化するその様子は、まさに軍拡競争にたとえられる。
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 最近、進化心理学の視点からの研究をはじめたテーマがある。森と人との関係についての研究だ。僕は森や樹木が好きだ。これは僕の特殊な嗜好というわけではなく、おなじ感覚を持つ人は、世界中にたくさんいることだろう。世界のいろんな場所で、人々は森を愛し敬い、樹木に親しみを抱いている。このように人間に普遍的に見られる傾向は、進化心理学で説明をつけることができるんじゃないかと考えられる。

 ところで、生物進化の原動力は自然淘汰だ。ひらたく言うと、その生物の生存と繁殖に役立つ特徴が発達すること。生存や繁殖にマイナスの影響を与える特徴は、それを持つ個体が死に絶えることによって、消えてゆく定めにある。この生存と繁殖に役立つ度合いのことを、適応度という。適応度の低い特徴は自然淘汰によって消えてゆく。適応度の高い特徴は、次第に強められていく。

 こんなふうに考えると、(僕らが原始人と呼ばれていたほどの)大昔、森を愛し敬う感情を持った人たちが生き残り、そうじゃない人たちが死に絶えるようなできごとがあったんじゃないだろうか。これが僕の仮説だ。もちろんこの表現は誇張で、現実には、森を愛する人は、そうじゃない人よりもほんのちょっと適応度が高かっただけなのかもしれない。短期間では計測不能なほど小さな差でも、それが何百何千世代も繰り返されるうちにその違いは明らかになる。そして、適応度を高める特徴は定着し、それを低下させる特徴は消えてゆく。

 人が持つ森に対する感情は多様である。人は森を愛し親しみ、いやしを感じるばかりではない。人には、森をおそれる感情が存在する。森は人に恵みを与える反面、ときに危険な場所になることもあるからだ。プラスとマイナスの入り混じった複雑な感情。この「おそれ」を漢字で書くならば、「畏れ」というのがふさわしいだろう。単に怖がるのではなく、自分よりはるかに力強いものを敬い大切にする感情。このようにミックスされた複雑な感情が原始人に定着し、現代人にも残ってるのではないだろうか。森の緑をきれいだと思い、若葉やキノコを愛らしく思い、深山幽谷に神秘性を感じ、森で迷った夕方には身の危険を感じドキドキする。僕らにとっての森は、アミューズメントパークのような場所だ。いろいろな感情を呼び覚ます森。人はなぜ、こういった感覚を持っているのかを考えている。

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