第6回 生物進化とこころ―自然と人との関係を問い直す

 僕の本職は地球温暖化の研究だけど、最近特に気になるテーマがある。それは生物進化。なにをかくそう僕はハーバード大学の進化生物系の学科(Department of Organismic and Evolutionary Biology)で博士号を取っている。僕自身は当時から地球温暖化と森の関係を研究していたけれど、まわりの先生や学生たちの過半数は生物進化が専門だったし、出席した講義や、授業のアシスタントをしたクラスの多くは進化生物学に関するものだった。こんなわけで、温暖化にまつわる環境と生物の関係を考えているときも、僕は常に生物進化の目線で研究対象をとらえるようになっていった。

 生物進化は誤解と異論の多い学問だ。「進化」って言葉は現代人の日常の語彙に組み込まれている。言葉が一般化していくと、本来の学術的な意味とは異なる使われ方が編み出され、それが民間に定着していく。そうなるとこんどは、本来の学術用語として使うときに市民からの誤解を招く恐れが出てくる。ちなみに、僕の本職である生態学(エコロジー)も、一般の関心が高いゆえに異論と誤解の多い学問だし、地球温暖化についての誤解も枚挙にいとまがない。なんにせよ、純粋な学問としてスタートしたテーマでも、人間にとって身近なことを研究していると、それは世間に浸透していき、一般市民の日常会話にのぼるようになる。それ自体は望ましいことだけど、その過程で誤解が生じたり、トンデモ説がまことしやかにささやかれたりすることも多いのである。

 なぜ僕は、こんなふうに誤解されやすい学問ばかりやってるんだろう。もしも専門が高度にマニアックな研究だったら・・・。たとえば深海に生きるダイオウグソクムシを専門に研究する人だったら、それが一般市民の日常の会話にのぼることはまずないから、誤解を受けずにすむのかもしれない。でもやはり、僕の選んだ学問は、僕らしいんじゃないだろうか、と考えたりするのである。サイエンスに興味のない人をふくめてすべての現代人にかかわりのあるテーマ、普遍性のあるテーマが気になってしまう。世の中のためになりたい、と言えば自分を美化しすぎてる気もするが、その意識は無償の奨学金で大学院に行った僕が背負う十字架なのかもしれない。さらには、自分の研究で世の中を変えねばならない、という少し子どもじみた使命感があるのも正直なところである。・・・余談が過ぎてしまった。

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