第107回 短時間睡眠で済む遺伝子が発見された
少し横道にそれるが、今回公開された研究データを見て私がある意味一番驚いたのは、研究対象となったショートスリーパーの定義が「曖昧」であるにもかかわらず結果が得られている点だ。この家系でADRB1の突然変異を保有していたのは7名。年齢は29歳から84歳(平均年齢57.7歳)、睡眠時間は4.5時間〜7.5時間(平均5.7時間、短い順に4.5、4.8、5.5、5.5、 6.0、6.1、7.5時間)。7.5時間睡眠の被験者は79歳、最も若い29歳の被験者は6.0時間睡眠。
この程度の家系、どこにでもありそうではないか。しかも睡眠時間は「問診」で聴き取っており、デバイスを用いた客観的な判定は行っていない。よくぞ、この家系でここまで調べる気になったものだと感心した。この研究グループは遺伝子探しが得意で、これまでにも睡眠時間帯が非常に早くなる(極端な早寝早起きになる)遺伝子や、別のショートスリーパー遺伝子を見つけている。まずは「それらしき家系」を見つけて物量作戦で遺伝子変異を探し、仮説が正しいかは動物実験で証明する、という研究スタイルを一貫してとり続けている。「外れ」も膨大に多いのだろうが、実に米国らしいと言えば米国らしい。
閑話休題。
このような脳機能状態が長期間にわたって持続したときに、人間の精神や肉体にどのような影響が生じるか分かっていないが、この家系のメンバーに限ればいたって健康に生活できているらしい(だからこそショートスリーパーと判定されたわけだが)。これまでのショートスリーパーに関するケースレポートでも、「くよくよしない有能な人間」「軽躁的」などの特徴が報告されている。皆が憧れるのもうなずける。
ただし、短時間睡眠であることと、健康的に過ごせることは別物と考えるべきだろう。実際、ADRB1の突然変異を導入されたマウスで確認されたのも睡眠時間の長さだけで、寿命も含めて長期的な健康への影響は調べられていない。普通に考えれば今回見つかった家系のショートスリーパーには短時間睡眠でも健康的、活動的な生活を支える他のファクターがあるのかもしれない。それは別の遺伝子の影響かもしれないし、生活習慣や食べ物、気候であっても不思議ではない。異なるライフスタイルを送る別のショートスリーパーでも同じようにADRB1の変異をもっているのか? ADRB1が持つ睡眠以外の生体機能への作用など、今後の研究の進展が待たれる。
講演会などで睡眠の重要性を話すたびに、「よく分かりました。で、その大事な睡眠を短時間で効率よくとるにはどうしたらよいでしょうか?」という質問を受けていささかげんなりすることも多い私としては、今回の発見を機に、短時間睡眠と健康長寿を両立できる夢の新薬ができて欲しいと心底思うのである。
つづく
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(イラスト:三島由美子)
三島和夫(みしま かずお)
1963年、秋田県生まれ。秋田大学大学院医学系研究科精神科学講座 教授。医学博士。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大助教授、米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授、国立精神・神経医療研究センター睡眠・覚醒障害研究部部長を経て、2018年より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事など各種学会の理事や評議員のほか、睡眠障害に関する厚生労働省研究班の主任研究員などを務めている。これまでに睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者も歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、集英社文庫)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。近著は『朝型勤務がダメな理由』。
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