第57回 眠気の正体

 恒常性とは体の状態を一定の(正常な)状態に保つ力である。例えば、血圧が高すぎれば血管を拡張して下げる、血糖値が高くなればインスリンを分泌して下げる、体温が低すぎれば筋肉を収縮させて(震えて)熱を産生して上げる、などありとあらゆる体の機能に恒常性が働く。

 当然ながら睡眠も例外ではない。睡眠の大きな役割の一つが休息である。長時間にわたって覚醒(活動)し疲労が蓄積するほど睡眠のニーズは高まる。動物界全体で眺めれば、体重当たりのエネルギー消費量が大きい、すなわち活動性が高い動物ほど睡眠時間が長い傾向が認められる。(参考記事:「第5回「ゾウの睡眠、ネズミの睡眠」」

体重あたりの酸素消費量と睡眠時間の関係。ZepelinとRechrschaffenらのデータから筆者が作成。(イラスト:三島由美子)(第5回「ゾウの睡眠、ネズミの睡眠」より)
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 厳密には疲労と眠気は異なるのだが、ここではざっくりと「蓄積した疲労を解消しようとする恒常性の圧力が眠気(睡眠欲求)」であると理解していただいて良い。

 では、この「蓄積した疲労」「睡眠欲求」の正体はいったい何か?

 睡眠欲求を高める物質(睡眠物質)が存在するのではないかと古くから研究が行われてきた。

 第23回「断眠の世界記録 ラットvs.人間」でも触れたが、今から100年以上も前に、日本の睡眠研究の泰斗である石森国臣博士は長期間断眠した犬の脳脊髄液を別の犬の脳内に注入すると睡眠が誘発されることを発見するなど、日本は睡眠物質探しの分野を牽引してきた。

 覚醒中に蓄積する(もしくは減少する)何らかのホルモンや神経伝達物質か、タンパク質や酵素もしくはその代謝産物か、活性酸素(フリーラジカル)のような有害物質か。これまでに様々な物質が候補に挙がった。

 そのような中、大阪バイオサイエンス研究所所長などを務められた早石修先生の研究グループがプロスタグランジンD2と呼ばれる脳内物質が睡眠物質らしいと発表して大いに注目された。ラットの脳内にプロスタグランジンD2を微量注入してやると(夜行性動物のため)本来活発になる暗所でも強力に睡眠が誘発されることを鮮やかに示したのである。

 早石修先生は惜しくも昨年亡くなられたが、それまでの酵素の概念を覆すオキシゲナーゼ(酸化添加酵素)などの発見で日本学士院賞やウルフ賞医学部門など数々の受賞歴に輝き、なぜノーベル賞が取れないのか皆不思議に思っていたほどの生化学界の大御所である。それがなんと60歳を超えてから全く畑違いの睡眠科学分野に新たにチャレンジされたのだから驚きである。

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