第95回 「睡眠薬で認知症にかかりやすくなる」は本当か
さてここで、先のフランスでの調査結果をもう少し細かく見てみよう。ベンゾジアゼピン受容体作動薬を服用している高齢者では平均6年間服用して、その間に100人当たり4.8人が認知症を発症したのに対し、服用していない高齢者では同じ期間に100人当たり3.2人が認知症を発症した。その比をとって「1.5倍のリスク」というわけである。より正確には、服用群と非服用群との間には平均年齢、男女比、持病の有無、その他の服用薬剤などの違いがあるため統計学的手法で調整をして上記の結論を得ている。
さて、読者の皆さんはこの「6年間服用して100人当たり1.6人増える」「比率は1.5倍」という数値をどのように感じるだろうか。
認知症を心配してセカンドオピニオンを求めて来院される患者さんにこのような説明をすると、「それでも怖い」と不安がる人よりも、「なんだ、その程度か」と安堵する人の方が多い。週刊誌の記事の中には「服用すると必ずボケる」といった論調も散見されるが、実際にはそうではないのである。しかも、「認知症のリスクを高めない」という結果を得たコホート研究も複数あり、今後の調査結果によっては「リスクなし」と結論づけられる可能性もある。
睡眠薬を服用後に認知症を発症した高齢者の中には、服用後1~2年以内に発症するケースが多いという調査結果もある。もし睡眠薬が認知症の原因だとすればタバコのように「長期間にわたり暴露した人」の方が発症しやすいはずなのに、どうやらそうではない。このことは何を意味しているのだろうか?
結論が出ているわけではないが、認知症を発症する高齢者では睡眠薬を必要とする不眠症状が先行して出現するのではないかと考える研究者もいる。実際、不眠症状がある高齢者は良眠している高齢者よりも(睡眠薬の服用とは別に)認知症にかかりやすいという調査結果が数多くある。つまり睡眠薬の服用が認知症の直接の原因なのではなく、発症の早期兆候だというのである。この疑問について回答を得るにはもう少し調査が必要だろう。
さらに、ここ5年間ほどの研究によって、睡眠不足や不眠症そのものが認知症のリスクを高めるという強力な証拠が続々登場してきた。であれば、睡眠薬を怖がって不眠を我慢するのは賢い選択とは言えない。
認知症を心配しなくてはならない世代の人が睡眠薬を服用する場合には、そもそも認知症の懸念が少しでもある薬を選択しない、そして仮にベンゾジアゼピン受容体作動薬が必要な時はできるだけ少量を使い、そして不眠が治ったら減量する。睡眠薬による認知症が心配な人でもこの程度の対処を行えば十分なのである。
つづく
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(イラスト:三島由美子)
三島和夫(みしま かずお)
1963年、秋田県生まれ。秋田大学大学院医学系研究科精神科学講座 教授。医学博士。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大助教授、米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授、国立精神・神経医療研究センター睡眠・覚醒障害研究部部長を経て、2018年より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事など各種学会の理事や評議員のほか、睡眠障害に関する厚生労働省研究班の主任研究員などを務めている。これまでに睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者も歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、集英社文庫)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。近著は『朝型勤務がダメな理由』。
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