第115回 つかめそうでつかめない睡眠と覚醒の境目

 その説明のために、脳波による睡眠判定の難しさについて触れてみる。確かに覚醒から浅い睡眠に入るとα波に代わりθ波が増加してくる。とは言っても、ある時点から急にα波が消えてθ波に全面的に入れ替わるのではなく両者がせめぎ合う移行期、いわゆる“まどろみ”の時期が断続的に続くことも多い。浅い睡眠状態に入った後も、α波はしばらく散発的に出現する。そのため、“測定開始から何分何秒後”などある一点をもって覚醒と睡眠の境目と決めることが非常に難しい。

 そこで、睡眠研究者は30秒という“判定区間”を決めて、その判定区間に出現するα波の割合が50%以上なら「覚醒」、50%未満なら「睡眠」と定義することにしたのである。これならば機械的な作業であり、迷いがない。脳波の周波数分析によって睡眠や覚醒、睡眠の深さをリアルタイムに判定するソフトも作成され、臨床現場で活用されている。

 研究目的や特殊な事情から判定区間を20秒や10秒など短くすることもある。ところが区間を短くすればするほどそこに含まれる脳波量が少なくなり判定精度が低下するほか、区間ごとの変動が大きくなりすぎる。30秒は脳波解析精度と臨床上の有用性の間の落とし所として決まったのである。

 睡眠医療では30秒の判定区間で十分なのだが、それでは長すぎて困る研究領域がある。例えば自動車運転事故の防止装置の開発をしている技術者にとって30秒は「大事故に至るに十分な長さ」であり、もっと短い区間で素早く睡眠を判定する必要がある。いや、そもそも眠ってしまっては手遅れなので、“まどろみ”もしくはその前段階でドライバーにアラートを発したいと考えている。ところがこれが難しい。

 居眠り事故のリスクが高い、長い直線道路や高速道路を運転しているときは、視覚や聴覚刺激も単調になり、先にも書いたようなα波とθ波がせめぎ合う脳波状態になりやすい。ドライバーの額に脳波電極をピタッと貼り付け、脳波を秒単位で自動判定しながらθ波が少しでも増えてきたらアラートを出せば居眠り運転の予防ができそうだが、ことはそう簡単ではない。

 “α波とθ波がせめぎ合う”の時期は「眠い」という認識に欠けるため、ドライバーは寝ているつもりもないのに頻繁に鳴り続けるアラームに業を煮やしてシステムを切ってしまう可能性が高い。このような短時間の“まどろみ”でも、歩行者が飛び出すなど突発的な事態への反応速度は低下しているため困るのだが、θ波が全く出ないような覚醒度が非常に高い状態で運転し続けることもまた現実的には難しい。技術者は睡眠判定の正確さと判定の速さというトレードオフの悩みを抱えつつ、居眠り防止装置の開発を続けているのである。

 覚醒と睡眠を脳波検査で決めるだけで十分なのかという指摘もある。睡眠判定には「中心部」と呼ばれる脳の頭頂葉領域の脳波を用いているが、この中心部脳波は脳の一部の領域の活動を反映しているに過ぎない。睡眠中にも活発に働いている脳領域もあれば、覚醒時であっても不活発な脳領域もあることが明らかになっており、脳波ではその一部の活動性しか評価できない。また、ある種の動物には“半球睡眠”という左右の脳が交代で睡眠をとる現象もある(第66回「眠りながらも目覚めてる!? 半球睡眠とは何か?」参照)。脳の“睡眠・覚醒”も一様ではないのである。測定技術の進歩によって脳局所の覚醒度を簡便に評価できるようになれば、“まどろみ”状態の定義も運転時、勤務時、リラックス時でそれぞれ違うものになるのかもしれない。

つづく

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三島和夫(みしま かずお)

1963年、秋田県生まれ。秋田大学大学院医学系研究科精神科学講座 教授。医学博士。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大助教授、米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授、国立精神・神経医療研究センター睡眠・覚醒障害研究部部長を経て、2018年より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事など各種学会の理事や評議員のほか、睡眠障害に関する厚生労働省研究班の主任研究員などを務めている。これまでに睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者も歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、集英社文庫)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。近著は『朝型勤務がダメな理由』。