そもそも「春眠暁を覚えず!」などと口走るのはたいがい居眠りが見つかって言い訳している場面と決まっている。あなたが昼食後の会議中に眠気を感じた時は手のひらや足裏などの末梢血管(毛細血管)が拡張して盛んに放熱していることが多い。これは眠気が脳温の低下と連動して強まるという特性による。手足から熱を逃がして脳や内臓などを冷却するシステムが働いているのである(第6回「お風呂で快眠できるワケ」)。

 肌寒いうちは体を冷やさないように(熱が逃げないように)手足の末梢血管は絞まりがちだが、春になり気温が上がると血管は拡張しやすくなる。こうなると席の真向かいに部長が座っていようが、美人の部下が座っていようが、なかなか眠気に抗うことができない。見咎められた後に照れくさく発するのが件の一句というわけだ。ちなみに冬でも暖房が入った部屋では同じような現象が生じ、季節外れの春眠を経験した人も少なくないはず。

 以上は私の仮説である。実際に春眠が放熱と連動しているか証明した研究はない。今後もそのような酔狂な研究をする人は出てきそうもない。ほかにも、気圧による自律神経機能の変化から春眠を論じている人などもいて諸説紛々だが、いずれもその真偽は分からない。心地よい春先にそのようなことをあれこれ詮索するのは無粋であると孟浩然に叱られそうなのでここら辺で止めておこう。

 ちなみに、体がほてって寝苦しい夜に足先を布団から出すと寝やすくなるのも、足裏から放熱しやすくなるためである。電気毛布を使っている方も、スイッチは就床後ほどなく切れるようにタイマーをセットしてはどうだろうか。冷たい布団に入ると末梢血管が収縮して放熱を妨げるので布団を暖めておくのは確かに良い。でも、付けっぱなしでは睡眠中の放熱をかえって妨げてしまうからだ。このアドバイスもすでに季節外れかな。

 今回の話をまとめると、春先に眠気が強くなるという現象が本当に存在するのか、存在するとすればそのメカニズムはどのようなものか、明らかになっていないと言うことだ。寝不足大国ニッポンにとっては眠気は春先に限ったことでは無い。孟浩然が現代に生きたならば

 春夏秋冬 暁を覚えず
 処処 あくびを聞く

 と詠んだはずだ。

つづく

三島和夫

(イラスト:三島由美子)

三島和夫(みしま かずお)

1963年、秋田県生まれ。秋田大学大学院医学系研究科精神科学講座 教授。医学博士。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大助教授、米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授、国立精神・神経医療研究センター睡眠・覚醒障害研究部部長を経て、2018年より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事など各種学会の理事や評議員のほか、睡眠障害に関する厚生労働省研究班の主任研究員などを務めている。これまでに睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者も歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、集英社文庫)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。近著は『朝型勤務がダメな理由』。

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