第67回 睡眠研究のための“異時間空間”「隔離実験室」

 実験室内ではこちらで用意した数百本のDVDや漫画本(長編ばかり)、書籍などを楽しむことができるので退屈することはない。ただし、覚醒度や認知機能の測定を行う時間帯には視聴させない。映像や娯楽が影響を及ぼすためである。といっても心理的な影響を完全に排除することは難しい。以前、男子大学生を被験者にして実験を行ったときに、アルバイトの女子大生をスタッフとして当てたところ、断眠(徹夜)明けにもかかわらず非常に覚醒度が高い結果になってしまったことがある。かといってむくつけき男ばかりで実験を行うわけにもいかず、実に難しい。

 室内の照明もかなり暗めに抑えられる。特に体内時計の研究の場合には15ルクス程度の薄暗い照明下で生活してもらう。これは一般家庭の蛍光灯などに付いている常夜灯の豆電球くらいの明るさである。照明を落とすのは、環境光が覚醒度に影響を与えるだけでなく、体内時計の時刻を強力に調節(時刻を進めたり遅らせたり)してしまうからである。特に青色光の影響が突出して強いため、室内照明は影響がほとんどない弱い暖色光(オレンジ色)で統一する。

15ルクス程度に抑えられたリビングルーム。(イラスト:三島由美子)
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 冒頭で書いた「体内時計は25時間周期」は、当時この分野の中心地であったドイツバイエルン州のアンデックスにあるマックス・プランク行動生理学研究所で行われた実験結果が元ネタである。その当時は家庭照明レベルの光であれば人の体内時計にはほとんど影響しないと考えられていたため、照度を落とす工夫がなされておらず、見かけ上、体内時計の周期が長く算出されてしまったのだ。私も1990年代初めに当地を訪れたことがあり、防空壕を利用した隔離実験室はとても印象深かったが、実験室内がかなり明るいと感じた記憶がある。

 現在の体内時計周期を計測する実験では、室内照明を低照度の暖色光にするだけではなく、睡眠時間帯を1日当たり4時間ずつ遅らせる特殊なスケジュールで睡眠をとらせ、体内時計周期を測定する。あまりに専門的になるのでこれ以上の説明は割愛するが、このような方法でわずかな室内光の影響すら相殺できる。この厳密な方法でハーバード大学の研究グループが測定した白人の体内時計周期は24時間11分、私たちが国立精神・神経医療研究センターで測定した日本人のそれは24時間10分とほぼ同じだった。

 体内時計を調整する主要な時計遺伝子群の遺伝子配列には人種間でさほど大きな違いはない。したがって、体内時計周期が白人と日本人でほぼ完全に合致したことは不思議でも何でもない。若者と高齢者の間でも体内時計の周期は変わらない。遺伝子配列が変わらないのだからこれもまた然り。しかし実生活では、虹彩の色(白人では青色光が通りやすい)や居住地域(高緯度では日照量が少ない)、年齢(眼球の角膜や水晶体の光透過性が変化)などの要因が複雑に絡み合って個人の生体リズムが決定される。室内実験の結果を生活や臨床にそのまま適用できないことも忘れてはならない。

 次回も引き続き、睡眠研究のノウハウについてご紹介する。眠くなれば横になるのは当たり前だが、実は横になるだけで眠くなる。そのワケも睡眠実験の失敗から分かった!?

つづく

三島和夫

(イラスト:三島由美子)

三島和夫(みしま かずお)

1963年、秋田県生まれ。秋田大学大学院医学系研究科精神科学講座 教授。医学博士。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大助教授、米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授、国立精神・神経医療研究センター睡眠・覚醒障害研究部部長を経て、2018年より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事など各種学会の理事や評議員のほか、睡眠障害に関する厚生労働省研究班の主任研究員などを務めている。これまでに睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者も歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、集英社文庫)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。近著は『朝型勤務がダメな理由』。