第29回 悪夢

[画像のクリックで拡大表示]

 オニクマムシの飼育はたいへんだ。オニクマムシは大食漢。餌となるワムシを1日に何度か与える必要がある。2日間くらい餌を与えないと、弱ってしまう。どことなくやせ細り、動きものろくなる。こうなると、いくらワムシを与えても、ほとんど食べることなく死に絶えていくクマムシもいる。

 また、オニクマムシはきれい好きの潔癖性でもある。飼育培地がちょっとよごれてくると、クマムシたちはとたんに不機嫌になる。動きはにぶくなり、餌のワムシをハンティングする元気もなくなってしまう。長いことよごれた飼育培地ですごしたために弱ってしまったクマムシは、新しい飼育培地に移してやっても、元気になることなく死んでいってしまうことも多い。だから、2日に1回ほどの頻度でクマムシたちを新しい飼育培地に移す必要がある。

 ようするに、生半可な覚悟ではオニクマムシを飼育することはできないのだ。

 クマムシの飼育で一番たいせつなこと。それは、愛である。

 どの子にもまんべんなくじゅうぶんな愛を注ぐとなると、いちどに飼育が可能なオニクマムシの数はおよそ500匹が限度だろう。だが、研究をしていると、この限度を超えた数のクマムシをいちどに飼育しなければならないこともある。

 たとえば、私が博士課程の大学院生のころ。原子力研究所(現原子力研究開発機構)の研究課題のもとでオニクマムシの放射線照射に対する影響を調べていたときは、いちどに1000匹以上を飼育していた。それも、ただ飼育するのではなく、放射線を照射されたオニクマムシの生存数と産卵数を毎日のように調べた。このときは、1日のうちに十数時間をオニクマムシの飼育と調査に費やしていた。

 飼育にしろ調査にしろ、作業のほとんどは顕微鏡をのぞいている時間である。オニクマムシの飼育に忙殺される日々が続き、ついに愛の供給が限界に達してしまった。

 ある日の夜、恐ろしい夢を見た。ベッドで仰向けに寝ていると、巨大なオニクマムシが部屋の壁や天井を歩いている。その体はどろどろに溶けている。そして次の瞬間、何匹ものオニクマムシが、私の顔の上にばたばたと落ちてきた。そこで、目が覚めた。

 その日の朝、胃が痛み、血まじりの何かを吐いてしまった。しばらく高熱にうなされ、ベッドに横たわりながら、こう思った。

 オニクマムシは、もう無理かも。

 と。

つづく

『クマムシ研究日誌 地上最強生物に恋して』
著者:堀川大樹 (東海大学出版部)
堀川さんの本が出版されました。
連載とあわせてお楽しみください。
アマゾンでの紹介はこちら

堀川大樹

堀川大樹(ほりかわ だいき)

1978年、東京都生まれ。地球環境科学博士。慶応義塾大学SFC研究所上席研究員。2001年からクマムシの研究を始める。これまでにヨコヅナクマムシの飼育系を確立し、同生物の極限環境耐性能力を明らかにしてきた。2008年から2010年まで、NASAエイムズ研究センターおよびNASA宇宙生物学研究所にてヨコヅナクマムシを用いた宇宙生物学研究を実施。2011年から2014年まで博士研究員としてパリ第5大学およびフランス国立衛生医学研究所ユニット1001に所属。『クマムシ博士の「最強生物」学講座――私が愛した生きものたち』(新潮社)、『クマムシ研究日誌 地上最強生物に恋して』(東海大学出版部)の著書がある。Webナショジオ「研究室に行ってみた。」の回はこちら。人気ブログ「むしブロ」および人気メルマガ「むしマガ」を運営。ツイッターアカウントは@horikawad