第28回 シェルター・ベイビー

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 母が脱ぎ落とした、脱皮殻という名のシェルター。シェルター内に産み落とされたオニクマムシの卵たちは、誕生のときをじっと待つ。この脱皮殻にある爪がコケに引っかかり、降雨によりおこる水流で卵が流れ出すのを防いでいるのではないか、ということを前回に書いた。

 実はこれ以外にも、脱皮殻のだいじな役割があるように思われる。クマムシは水がなくなると乾眠に移行するが、あまりにも急速に乾燥すると、うまく乾眠に入れずに死んでしまうことがある。これは、大人でも子どもでも卵でも同じだ。脱皮殻のなかは、水が保持されやすいから、卵の乾燥は非常にゆっくりとおきるはずだ。

 餃子を焼いたときのことを考えてほしい。表面はパリっとカリカリになっているにもかかわらず、中身は水分が保たれてジューシーになっている。クマムシの脱皮殻は餃子の皮に比べると保水力は圧倒的に劣る。だが、周りが急速に乾燥したときでも、中身の卵がゆっくりと乾燥するだけのシェルター効果はあるだろう。

 さて。卵が産み落とされてから、1日、2日、3日……。透過型実体顕微鏡で観察すると、時間が経つにつれて卵の色が濃い灰色から白っぽい半透明へと変化していく。この間、卵の中では胚の発生が進み、クマムシの形が出来上がっていく。ふ化直前には、卵の中の赤ちゃんに眼点ができていることも確認できる。そして産卵から10日をすぎると、多くのオニクマムシ・ベイビーズが卵の殻をやぶって出てくる。

 おめでとう。ようこそ、新しい世界へ。しかし、そこはまだまだせまい世界だ。きみたちの母親が残した、長さ1ミリメートルにも満たないシェルターの中だ。卵から孵ったシェルター・ベイビーズたちは、シェルターの中をしばらくうろうろと歩き回る。そして、シェルターにぽっかりと空いた穴にたどりつく。

 母が脱ぎ去ったときに空いた、未知の外界に通じるワンダー・ホール。赤ちゃんたちは、この穴を目指して移動していくというよりは、ランダムに歩き回った末にたまたま穴にたどりつくと、外に出て行くように見える。孵化した後も、なかなかこの穴にたどり着かずにいつまでもシェルター内をうろうろしている赤ちゃんもいる。こういう子をみていると、もどかしくなって手を差し伸べてあげたくなる。

 シェルターをあとにした赤ちゃんたちは、すぐさまハンティングにでかける。そして獰猛で立派なハンターとして成長するのだ。あのシェルターを残した、母のように……。

つづく

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堀川大樹

堀川大樹(ほりかわ だいき)

1978年、東京都生まれ。地球環境科学博士。慶応義塾大学SFC研究所上席研究員。2001年からクマムシの研究を始める。これまでにヨコヅナクマムシの飼育系を確立し、同生物の極限環境耐性能力を明らかにしてきた。2008年から2010年まで、NASAエイムズ研究センターおよびNASA宇宙生物学研究所にてヨコヅナクマムシを用いた宇宙生物学研究を実施。2011年から2014年まで博士研究員としてパリ第5大学およびフランス国立衛生医学研究所ユニット1001に所属。『クマムシ博士の「最強生物」学講座――私が愛した生きものたち』(新潮社)、『クマムシ研究日誌 地上最強生物に恋して』(東海大学出版部)の著書がある。Webナショジオ「研究室に行ってみた。」の回はこちら。人気ブログ「むしブロ」および人気メルマガ「むしマガ」を運営。ツイッターアカウントは@horikawad