アリスとドードーの自然史博物館に行ってみた!

書籍『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』から紹介 第2回

 ノワク-ケンプが大きな方の上蓋をあけると、中から黒ずんだミイラのようなものが見えた。

 ドードーの頭部! それも、二つ? と混乱する。

ドードーの頭部! それも、二つ?(写真提供:川端裕人)
ドードーの頭部! それも、二つ?(写真提供:川端裕人)
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「標本が二つある?」

「いいえ、一つです。顔の左側の皮を研究のために剝がしてあるから、二つに見えるだけです」

 ノワク-ケンプは使い捨て手袋をつけ、その頭部を取り上げると、テーブルの上に丁寧に置いた。

 頭骨に半面の骨と皮がくっついた状態のものと、皮だけの半面だ。後者は、中身がないので光のめぐりがよく、薄い茶色に見える。

 ふうっとため息をつく。今、眼の前にあるものは、様々な意味で「本物」だ。骨だけをみるのではなく、皮まで残っているというのは、イメージの喚起力がまったく違う。解剖学の訓練を受けて骨から多くの情報を読み取るプロでもないかぎり、その差は大きい。ぼくの場合、オックスフォード標本をこの目で見た時、はじめて理屈ではなく、この鳥がかつて生きて動いていたのだと想像できた。

「この子」(と呼ぼう)は、今から350年ほど前には生きてモーリシャス島におり、その後、生きたままイギリスに連れて来られた。オスかメスかということは分かっていないし、捕獲したのが誰かも分からない。これまで「俗説」的に語られてきたこととしては、かつてロンドンのとある商店の裏庭で飼われて見世物にされていた個体をある神学者が目撃しており、それが死後、私設博物館を経て、最終的にはオックスフォード大学に収められたものだとされる。

「オックスフォード・ドードー」の来歴

 オックスフォード標本は、どこから来たのか。

 まず、モーリシャス島からいかにしてイギリスに連れてこられたのかは謎に包まれている。

 確実に分かっているのは、17世紀の博物愛好家で、王室の庭師でもあったジョン・トラディスカント(John Tradescant 1570頃~1638年)と同名の息子(1608~62年)が欧州各国、北アフリカを訪ねる中で収集したコレクションを収めた「驚異の部屋」(ヴンダーカンマー、世界中から集められた珍奇な品を取り揃えて展示する博物陳列室)に所蔵されていたということだ。後に「トラディスカントの方舟」(the ark)と呼ばれるようになるもので、1620年代後半にはロンドンの中心部からテムズ川を渡ったサウス・ランベスにあった。この「方舟」には、球根、樹木、植物、種子といった自然史の標本だけでなく、衣服、靴、武器、道具、コイン、メダルといった人工物も多く所蔵されており、当時の大陸部の「ヴンダーカンマー」にならった構成になっていた。

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