10月14日(木)~2022年1月12日(水)まで、東京・上野の国立科学博物館で特別展「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」が開催されます。世界のミイラ研究をけん引してきた大英博物館が選りすぐった6体の貴重なミイラと遺物に、日本独自のコンテンツを加えたユニークな展示について、監修者である金沢大学教授の河合望氏に語っていただきます。

アメンイリイレトの内棺と、ミイラのCTスキャン画像から作成した3次元構築画像<br>末期王朝時代・第26王朝、前600年頃、大英博物館(&copy;The Trustees of the British Museum)
アメンイリイレトの内棺と、ミイラのCTスキャン画像から作成した3次元構築画像
末期王朝時代・第26王朝、前600年頃、大英博物館(©The Trustees of the British Museum)
子どものミイラと、CTスキャン画像から作成した3次元構築画像<br>ローマ支配時代、後40~後55年頃、大英博物館(&copy;The Trustees of the British Museum)
子どものミイラと、CTスキャン画像から作成した3次元構築画像
ローマ支配時代、後40~後55年頃、大英博物館(©The Trustees of the British Museum)

古代エジプトのミイラとは

 古代エジプト人は、現世における死を存在の終わりとは考えておらず、来世で再び復活すると考えていた。古代エジプト人は、死を「カー(生命力のような霊的存在)」が肉体と分離してしまう現象として捉えていたため、死者が来世で復活するには、遺体を保存し肉体が「カー」と再び一緒になることが必要とされていた。また、「カー」とは別に「バー(人間の頭をもつ鳥の姿で表現される)」と呼ばれる霊魂や人格の概念に近い人間の側面が、死後にも拠り所とする遺体を維持する必要があった。古代エジプト人がミイラを作ったのは、このような理由で遺体保存をするためだったのである。

 古代エジプトではすでに先王朝時代のバダリ期(前4000年頃)に植物樹脂に浸けた亜麻布の包帯が遺体に巻かれていたことが明らかになっており、ナカダII期(前3500年頃)までに人工的にミイラが作られるようになったと考えられている。そして、時代が新しくなるにつれて王や支配層が大型の地下の墓室を持つ墓を造営するようになると、湿度が高くなり遺体の保存が難しくなる状況に直面し、ミイラ作りの技術が発展していった。そして、より洗練された技術の発達によって、本来の肉体のより多くの部分が維持されるようになったのは新王国時代(前1550〜前1069年頃)になってからであった。

最新科学による古代エジプトのミイラ研究の成果を披露

 新王国時代は、古代エジプト文明の最盛期であり、当時の歴代のファラオたちは手厚くミイラにされて、テーベ(現在のルクソール)の王家の谷に豪奢な副葬品とともに埋葬された。当時は貴族も壁画で装飾された岩窟墓を造営し、豊富な副葬品とともに埋葬された。新王国時代の後に続く第3中間期(前1069〜前656年頃)は墓の造営が衰退する一方で、ミイラ作りの技術が最盛期となった。

 今回「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」で展示される6体のミイラは、第3中間期からローマ帝国に支配された時代までの約900年の間に生きた役人、神官、既婚女性、子ども、青年といったさまざまな境遇の人々の生と死に焦点を当てている。しかも、これら6体のミイラは発見されてから全く包帯が解かれず未開封の状態で保存されてきた。

 本展は、近年における大英博物館の科学的な調査研究により最新鋭のCTスキャンを駆使して明らかにされた、ミイラ作りの技術、健康の状態、病歴、死亡年齢や、ミイラの保護と来世での再生を祈って包帯の間に埋め込まれた護符類や装身具類など数々の大きな発見が、ミイラの3D映像と関連する約250点の豊富な展示品とともに紹介される画期的かつユニークな展覧会である。それでは見どころを具体的に解説していこう。

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