三十余年の研究人生で一番楽しかった時代

書籍『イルカと心は通じるか 海獣学者の孤軍奮闘記』から紹介 第3回

イルカを水揚げして、慎重に測定場所へ運び込む。左端が著者。(写真提供:村山司)
イルカを水揚げして、慎重に測定場所へ運び込む。左端が著者。(写真提供:村山司)
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フランスのSF小説が原作となった70年代の映画『イルカの日』。当時、この映画をリアルタイムで見た16歳の少年は人間とイルカが話すシーンに衝撃を受け、こう思った。いつかイルカと話したい――。そんな夢を追い求めて、今やイルカ研究者の第一人者となった村山司東海大学海洋学部教授(参考「研究室に行ってみた。東海大学 イルカと話す 村山司」)。孤軍奮闘の三十余年、変わり者扱いされながらたどりついた「夢のはじまり」を綴った新刊『イルカと心は通じるか 海獣学者の孤軍奮闘記』(新潮新書)から、研究人生で一番楽しかったという博士課程のエピソードを一部抜粋してお届けする。(全3回)

 水族館のイルカで脳波を測るなんて簡単なことではないのはわかるが、実際、どうしたらいいかわからない。あれこれ頭の中でシャドー測定をしてみる。

 しかし、そもそもイルカで実験する以上、イルカのことから水族館のこと、イルカの飼育のされ方、それにかかわっているトレーナーの人たちの仕事、そして現場の空気……いろいろなことを知っておかないといけない。大事な動物を使わせてもらうので、万一のことがあってはいけない。また、この先、水族館にさんざん迷惑をかけることはわかっているから、その恩は体で返すしかない。そういうことから鴨川シーワールドで実習をさせてもらうことにした。

 実は、水族館の実習はこれが二度目である。

 最初の実習は大学一年のころ、日本三景のひとつ、宮城県の松島湾沿いに建つ〈松島水族館〉(その後〈マリンピア松島水族館〉と改称、2015年閉館)だった。

 今でこそ、どこの水族館でも水族館に就職したい学生を中心に、多くの大学生や専門学校生、ときには高校生までもが実習しているが、当時は水族館で学生が実習するなどという発想は誰もなかった。そのため、私はこの水族館での実習者第一号であった。

 生まれて初めての水族館実習で、最初にやった仕事はエビの殻むき。何のサカナのエサかは忘れてしまったが、今もそのときのシーンは覚えている。この先長い、私と多くの水族館とのおつきあいは、この水族館でのこのシーンから始まっている。

 仕事の変わりダネは「タツノオトシゴ捕り」。目の前の松島湾に船を出し、タツノオトシゴを採集する仕事。船を止めて、ひたすら網をまくとタツノオトシゴがかかってくる。しかし、停泊していたらすぐに酔った。湾と言えど波があり、停泊していてもゆらりゆらりとピッチングとローリングの繰り返しで、10分ともたなかった。私の場合、どんな船でも酔うまでの平均時間はだいたいこのくらい。結局、船頭さんにお願いして帰港。仕事にならず、使えない実習生である。

 ここでの実習は実験のためとかではなく、やがて水族館という場所で研究するために、まずは水族館というものを経験しておこうと考えたものだった。実はこれはとても重要なこと。それは水族館の実習とは単に経験をするということだけでなく、自分と水族館との相性を確かめることにもなるからである。

水族館スタッフに怒られる

 さて、脳波に話を戻そう。測定自体は3日間の計画だったが、その3か月前から鴨川シーワールドに入り、準備を兼ねて実習をした。

 実習の初日、少し時間があいたのでショーを見た。鴨川シーワールドのユニフォームを着たままスタンドの一番前の客席に座って見ていて、スタッフに怒られた。

「それを着ていたら、お客さんからはスタッフも実習生も区別がつかない」

 確かにそうだった。水族館スタッフが、一番よい場所で見ていたように映ってしまう。場所を借りて研究するという自分の立場について、自覚が芽生えた瞬間である。

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