ラップランドでそり犬と暮らすティニヤ、電気も水道もない場所に移住した理由
華奢な外見とは裏腹に、ティニヤは見事な手さばきで一本の木を薪(たきぎ)の束に変え、雪と氷に覆われたマイナス40度の世界で、何時間も犬ぞりを誘導することができる。それでも、これだけの数の犬を養ってそばに置いておくためには、観光業に足を踏み入れ、北極を訪れる旅行者のためのツアーを企画するという一大決心が必要だった。最初はためらいもあったという。しかし、時間が経つにつれ、ティニヤはビジターの数を制限し、犬たちとの生活の静けさやバランスが崩れないように、ガイドする相手を慎重に選ぶことができるようになった。
フットワークが軽いのに力は強く、大胆かつ野生的でもあるティニヤは、この氷の王国で動物の群れを率いるリーダーである。「冬になるとエネルギーが満ちあふれます。新鮮な空気が元気を与えてくれ、北極が輝きを見せる最も美しい季節が冬なのです。空と星、そしてオーロラ……。その美しさは、いつ見ても飽きることがありません」
ただし、こうした極寒の地ではつねに注意と警戒が必要だ。マイナス20度になると鼻のなかの水分が凍りはじめ、マイナス30度では涙がまつ毛の先で凍り、髪の毛に霜がつく。極寒のなかで犬ぞりを操縦するマッシャーとして、フェルトブーツを履き、凍傷にならないように服を重ね着する技術もマスターしていった。
日の短い冬でも、ティニヤは早起きして、犬や馬用の柵のなかを掃除する。そうすれば、一頭一頭とじっくり向き合えるだけでなく、それぞれの健康状態をチェックしてどんな小さなトラブルも見つけることができるからだ。数多くいるハスキー犬は、飼い主に捨てられたのちに彼女に引き取られた。そういう子たちにはとくに注意を払っているという。
ここには水道も電気もない。炊事も暖房も薪ストーブでまかない、毎朝、川に足を運び、氷を割って水を汲んでこなければならない。四季折々に変化する生活は退屈とは無縁だ。犬たちとの2回の外出のあいだに柵や馬具の修理や裁縫といったさまざまな手仕事を行ない、夜になると、この地域のサーミの人々から安く仕入れたトナカイの死骸やドッグフードを犬たちに与えなければならない。
この地域からオオカミたちが追い出されたために、だいぶ前から森ではオオカミの声が聞こえなくなった。しかし、ティニヤの犬たちは、それを引き継いだかのように、一日に何度もいっせいに遠吠えを始める。その声は数キロ先まで響きわたり、「トラッパー」(毛皮専門の猟師)が活躍した時代のカナダのユーコンにでもいるような気分になる。
冬の一日の終わり、ティニヤは熱いサウナに入ることもある。サウナには、体を整えるだけでなく、寒さからくる単調さを断ち切ってくれる効果もある。ティニヤは、サウナ室で食器洗いや洗濯もする。外の気温がマイナス30度からマイナス40度の季節に「熱」は貴重だ。何をするにも努力しなければならない過酷な生活に見えるが、ティニヤはそれを代償とは考えていない。彼女に言わせると、人間は地球にとっては一種の病気のようなもの。だからこそ、生まれ変わったら犬になりたいと思っている。
ティニヤにパートナーができた。彼女の傍らには今、数年前に犬ぞりレースで出会ったアレックスがいる。「やっぱり二人のほうがいい」孤独好きは変わらないものの、ティニヤは素直にそう認めた。「出会ってすぐに、アレックスはいいパートナーになるだろうと思いました」。アレックスは、プロスキーヤーとして活躍した後、自ら競技用の犬を飼育している。ティニヤもときには競技会に参加し、楽しんでいるという。
二人で一緒に旅をし、野宿をし、保護区の端にいるという利点を生かして、毎回少しずつ遠くまで足を伸ばす。森のなかで、ティニヤは自然の一部になり、こここそが自分の居場所だと感じている。
「シンプルに、もっとシンプルに、いつもシンプルに! 身のまわりのものは最小限に減らすべきだ。百万ではなく半ダースの単位で数え、親指の爪に書き込めるぐらいの計算で十分なのだから」
──ヘンリー・デイヴィット・ソロー『ウォールデン森の生活』より
文・写真=ブリス・ポルトラーノ/訳=山本 知子
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