■「黒ひげ」ことエドワード・ティーチ

 最も有名な海賊の一人に「黒ひげ」がいる。本名をエドワード・ティーチというこの男は、実際の蛮行よりも見た目の怖さゆえに、米国きっての恐ろしい海賊とされていた。そのひげに緩燃性の導火線を編み込んで、戦うときに着火し、広い胸には6丁のピストルを装備していた。その恐ろしい姿を見ただけで、戦意を失う敵も少なくなかったという。

黒ひげを描いた19世紀の版画。黒ひげは最後の戦いで5発の銃弾を受け、剣による傷は20カ所にも及んだ。(ROBERT CLARK;COURTESY MARINERS MUSEUM, NEWPORT NEWS, VIRGINIA)
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 黒ひげは、海賊ベンジャミン・ホーニゴールドの手下として航海を続け、1717年にホーニゴールドが引退すると、船の指揮を執るようになった。ティーチは、カリブ海北部から大西洋沿岸にかけて盗みや略奪を繰り返し、たちまちホーニゴールドを超える海賊として恐れられるようになる。

 1718年に海賊から足を洗うという誓約をして恩赦を受けたが、バージニア州知事アレクサンダー・スポッツウッドは黒ひげがすぐにまた海賊行為を始めると確信し、軍隊に追跡させた。1718年のノースカロライナ州オクラコーク入江での死闘が、黒ひげの最後の戦いとなった。

■ブラック・バートの最期

 一方、キャプテン・ロバーツが乗っ取った船の数は、この黒ひげのざっと5倍。史上最大の成功を収めた海賊と言えるかもしれない。だが、彼が海賊になった時点で、その黄金時代は終わろうとしていた。もしロバーツが50年早く生まれていたら、国王から権限を付与された私掠船の船長となって、スペインをはじめとする主君の敵国から略奪の限りを尽くしただろう。現代なら国家ぐるみのテロに該当する行為だが、当時は安価に使える海上の攻撃部隊として、海賊が重宝されていたのだ。

 だがロバーツが登場した頃には、国境が無防備で略奪のチャンスに事欠かない時代はすでに過ぎ去っていた。1722年2月、最後の戦いに臨んだロバーツの姿は粋だった。キャプテン・ジョンソンはこう記している。

「上等なダマスク織の赤いベストに半ズボンを着用し、赤い羽根付きの帽子をかぶり、ダイヤモンドの十字架の付いた金の鎖を首にかけ、手には剣を持ち、肩には絹の帯を掛けて2丁のピストルを吊るしていた。怖気づいた様子は微塵もなく、お決まりの格好いい口上を述べ、手下に武器を取るように命じた。ロバーツは勇敢な海賊らしく、この場を切り抜けられなければ死ぬまでだと覚悟を決めていた」

(書籍『魅惑の財宝伝説 失われた黄金と宝石の謎』を再構成)

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