監修者が解説、特別展「ポンペイ」の見どころ、2000年前が鮮やかに蘇る
この家は、ローマ化以前にポンペイの支配者層だった、サムニウム人の名家のものだったのだろう。彼らは由緒ある家柄であることを誇り、200年近くにわたって古い家を大切に維持していたとみえ、屋内の壁は当時ヘレニズムの王宮などで流行していた、色石張りを漆喰で模した「第一様式」とよばれる壁面装飾法で飾られていた。逆に、紀元前80年以降のポンペイの家にみられるような、人物や風景をモチーフとした壁画は見当たらない。この時期の豪邸は、壁画ではなく、床モザイクに贅を凝らしたのである。
「ファウヌスの家」では、計7つの部屋の床面から、オプス・ウェルミクラトゥムと呼ばれる細密モザイク技法でつくられた、絵画に匹敵するほど繊細なモザイク画が発見された。中庭に面したエクセドラ(談話室)を飾っていた「アレクサンドロス大王のモザイク」は、ヘレニズム時代の細密モザイクを代表する傑作だ。
この作品は現在、モザイクの支持体である古代のモルタル層と、近代の補修で加えられた石膏層を分離する、保存修復作業が進められている。それにあわせて、この豪邸を飾っていた計4つのモザイクの来日が実現した。「アレクサンドロス大王のモザイク」の部屋の敷居に敷かれた「ナイル川風景」のほか、「イセエビとタコの戦い」などのモザイクに関しては、ヘレニズム時代(紀元前323年〜紀元前30年)に文化や芸術の中心であり、古代地中海世界最大の図書館と学術機関ムセイオンを誇った大都市アレクサンドリア由来のモザイク工房の関与も指摘されている。
ナポリ国立考古学博物館蔵(Photo ©Luciano and Marco Pedicini)
ローマのもとでの繁栄
紀元前80年以降、ポンペイは大量のローマ人植民者を受け入れ、高位公職者はローマ人で占められるようになった。ローマ世界初の円形闘技場や小劇場の建設、また大劇場の拡張工事は、ローマの土木技術を反映したものだ。だが帝政期に入る頃には、旧来の支配者層であったサムニウム人も、再び高位の役職に就くようになる。
ローマ帝国において、地方都市の繁栄は、皇帝からの寵愛を得られるかどうかにかかっていた。実際、アウグストゥス帝がナポリ湾周辺地域に敷設したアウグスタ水道は、井戸水や雨水とは比べ物にならないほどの豊かな恵みをポンペイを含めたナポリ周辺の諸都市にもたらし、本格的な公共浴場が営まれるようになった。水道は一部の富裕層の住宅にも引かれた。例えば、市内でも指折りの豪邸「竪琴奏者の家」では、帝政初期に大規模な改装が施され、家の中庭にイノシシやヘビのブロンズ像から水が吹き出す噴水つきの池が設けられている。
ナポリ国立考古学博物館蔵(Photo ©Luciano and Marco Pedicini)
奴隷身分から解放奴隷となり、急激に富を蓄える者もいた。「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスの家」は、父親と思われるルキウス・カエキリウス・フェリクスが(そしてひょっとしたらユクンドゥス自身も)解放奴隷だが、銀行業で成功し、立派な邸宅を構えるに至った。家の広間(アトリウム)で見つかったブロンズ像はフェリクスがつくらせたもので、おそらくは彼自身の肖像なのだろう。深い皺、大きな鼻、頬のイボなど、きわめて特徴的な顔立ちには、自分の力で社会階層をのし上がった者に特有の、自信と強い個性が感じられる。
ナポリ国立考古学博物館蔵(Photo ©Luciano and Marco Pedicini)
噴火直前期のポンペイ
紀元62年、ポンペイは大きな地震に見舞われた。その被害は甚大で、神殿や公共施設は16年後の噴火時にも、いまだ完全には修復されていなかったほどだ。富裕者の多い地区では、個人住宅の復興は比較的早く進んだようだが、富裕層の中には市外に住居を移す者もいたらしい。
「悲劇詩人の家」は、地震後に所有者が代わったらしく、改築されて内装も一新された。新しい住人は、家の広さから見て中の上、準富裕層といったところだったと思われるが、壁画の数は驚くほど多い。特に広間(アトリウム)の壁画には入念に画家や主題が選ばれ、住人の教養と文化的素養を声高に主張している。なかでも壁画「ブリセイスの引き渡し」は、英雄アキレウスがトロイア戦争のなかで手に入れ、寵愛していたブリセイスを、理不尽にもギリシア方の総大将のアガメムノンに奪われる場面を、人々の交錯する心理表現とともに見事に描き出している。
ナポリ国立考古学博物館蔵(Photo ©Luciano and Marco Pedicini)
地震を機に、新しい事業を始める者もいた。ユリア・フェリクスはその一人だ。彼女は広い庭をもつ邸宅を手に入れ、地震後に改装の手を加えると、その二階部屋や浴場を賃貸に出した。壁面に書かれた賃貸広告文が、その詳細を伝えている。古代ローマは圧倒的なまでに男性優位の社会だったが、彼女は女性でありながら、そしておそらく低い出自でありながら、事業家として辣腕を振るったのだろう。ポンペイは富裕者もいれば奴隷もいる格差社会だったが、ある程度の社会的流動性も備えていたのである。
「スプリウス・フェリクスの娘ユリアの屋敷では、品行方正な人々のための優雅な浴室、店舗、中2階、2階部屋を、来る8月13日から6年目の8月13日まで、5年間貸し出します。S.Q.D.L.E.N. C.」(「期間満了になれば、賃貸契約や自動更新されます」、もしくは「ご希望の場合は家主にご連絡ください」)
ナポリ国立考古学博物館蔵(Photo ©Luciano and Marco Pedicini)
今回の特別展には、ポンペイを代表するような一級の美術作品や、歴史的に価値の高い有名作品、これまであまり紹介されてこなかったポンペイを雄弁に語る興味深い作品が目白押しだ。それに加えて東京会場では、「ファウヌスの家」のエクセドラ、「竪琴奏者の家」の中庭の噴水彫刻、「悲劇詩人の家」のアトリウムが、かつてのポンペイの邸宅を彷彿とさせる形で展示される。これまでにない「ポンペイ」を、ぜひこの機会にご覧いただきたい。
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芳賀 京子(はが きょうこ)
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授。博士(文学)。古代ギリシア・ローマの美術史を専門とする。『西洋美術の歴史1 古代ギリシアとローマ、美の曙光』(中央公論新社)などの共著、『ギリシア陶器』(中央公論美術出版)などの共訳書がある。
特別展「ポンペイ」
2000年前の状況がそのまま残されたローマの地方都市ポンペイ。日本初公開を含め約150点が来日!
会期:2022年1月14日(金)~4月3日(水)
会場:東京国立博物館 平成館(東京・上野公園)
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