第75回 古代ギリシャ人も好きだった?フェタチーズ
高度経済成長期、貿易が活発化した日本では港湾物流が激増し、要となる横浜港には多くの外国貨物船や客船が往来していた。その活気に満ちた横浜に魅了され、根を下ろした一人の船乗りがいる。
「初めて日本に来たのは1960年、18歳の時です。世界各地の港に行ったけれど、にぎやかでエネルギッシュな横浜が一番好きだった。それで1970年から住み始めたんです」
ギリシャ人のジョージ・マルケジニスさんはそういって笑う。横浜に移住したジョージさんはギリシャ人船乗りを相手にしたバーを開いた。「当時はギリシャからの船が多く、港にはたくさんのギリシャ人がいたんですよ」という。変遷を経て今は関内と中華街(山下町)で3軒の店を経営している。
私が訪れたのはその一つで、本格的なギリシャ料理が楽しめるレストラン「OLYMPIA(オリンピア)」だ。ウィスキーやリキュールがずらりと並ぶバーカウンターでジョージさんの話に耳を傾けているのである。
「私はギリシャ西部のイオニア海にある小さな島、メガニシ島で生まれました。すぐ隣にあるレフカダ島は英文学者の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の生誕地。ギリシャといえばエーゲ海が有名だけれど、イオニア海もすごくきれいなグリーンの海でいいところだよ」
故郷の海を語るジョージさん。故郷といえばやはり聞きたくなるのはソウルフードだ。ギリシャのソウルフードを尋ねると、「10代で船乗りになって世界を巡り、日本に移住してからも50年近く経つから難しいなあ」といいつつも、今でも毎日食べているギリシャの名物があると教えてくれた。
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