さて、伝統的なラインナップの中で、聞きなれないマスティックと呼ばれるフレーバーが気になった。頬張ると、松の木のような濃い緑の香りが口いっぱいに広がる。マスティックは元々、ギリシャの島にのみ自生していたウルシ科の樹木(ギリシャではマスティハ)のことで、その樹液を用いて作るのだ。

 ギリシャに起源のあるフレーバーと聞いて、思い浮かべたのがトルコという国の雄大さだ。ギリシャを対岸に臨む西部には、古代ローマの遺跡が立ち並び、東部には世界最古の文明のひとつ、メソポタミア文明が栄えたチグリス、ユーフラテス川流域が広がるなど日本の約2倍の国土には何千年にもわたる「世界史」を抱えている。「ジェミルザーデ」の創業者ジェミル・ベイは音楽家としても知られていて、エジプトの首都カイロに招かれ一時、店舗もこの町に移していたことがある。彼はオスマン帝国の宮廷オーケストラに属していたのだが、19世紀後半に西欧化の波が押し寄せる中、宮廷の音楽も西洋化したため、当時は彼だけでなく多くの伝統音楽家がエジプトに移住したという。「ジェミルザーデ」のロクムは派手さはなく、昔ながらの四角くそっけない外観。バラのピンクもマスティックの緑も色合いはみな淡い。でも、その四角く淡い色のお菓子にこそ歴史が刻まれているのかもしれない。

カイロ時代の「ジェミルザーデ」の店。1910年代。右から2番目に立つ男性が創業者のジェミル・ベイ。
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 トルコでは特に、断食月であるラマダンの後、「砂糖祭り」と呼ばれる期間に親類縁者などに手土産としてロクムを持って行くことが多いという。また、結婚を控えた男性は家族と共に「よいロクム」を手土産として相手の家を訪れる慣習もある。「このとき花嫁となる女性は、結婚相手にトルココーヒーをいれるんです。“密かに”塩を入れてね。これがすごくしょっぱい。“私と一緒になったら、甘くはないわよ”って意味なんです」と愉快そうに話すのはオベンさんの事業を助ける、イスタンブール出身のハーカン・メナハンさんだ。

 近年は古いタイプのお菓子として、若い世代には人気がなくなっていたロクムだが、この10年ほどで新しいトレンドに取り入れられつつあるという。トルココーヒーとロクムを看板にした新しい店が増えているのだ。トルココーヒーとは、コーヒーの粉と水を合わせて煮出した飲み物。トルコではお茶の方がよく飲まれるのだが、ことロクムに関しては「コーヒーが合う」ことになっているらしい。「16世紀にコーヒーがイエメンから入ってきて、宮廷でもこの2つが共にたしなまれたんです。ロミオとジュリエットのように離れられない仲なんですよ」と言うハーカンさんのたとえに頬が緩む。

現地で思わず買ってしまったバラの花びらつきロクム。
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