第1回 アマゾンマナティーに会いに、アマゾンへ

 そこで、身体測定と健康診断の開始。

 まずは、吊り下げはかりで、体重を量る。この子の場合は、161.5キログラムとかなりどっしりしている。とはいえ、大人のオスでは飼育下で300キロ超えもあるそうだから、それほどでもないのかもしれない。ぼくにはまだ比較の対象がない。ただ、ずっしりと充実した印象は受けた。

 この時点で、お腹の側が見えた。アマゾンマナティーは、背中は黒いけれど、お腹側には白い斑紋がある。それが個体識別に使える。この子は、9年前、まだ1歳の子どもだった頃に、湖に連れてこられたオス(現10歳)だと分かった。数十年生きると言われる生き物だから、まだまだワカモノである。

 計測・検査用のマットの上に移る。体長は219センチと、まずまずの成長をとげていた。肉付きもよく、見た目の健康状態はよいと、獣医さんは満足気だった。さらに、カーブ・ボディ・レングス(体にそってメジャーを這わせて測った体長)、胸びれ長さ、腹回り、尾びれの付け根まわり、尾びれの最大幅……身体測定メニューは、だいたいその程度。

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 そして、健康検査のためのサンプルの採取。まずは鼻の粘液(呼吸のために鼻が開いた時に綿棒でシュッと取る)。さらに、糞、尿、そして、血液だ。

 オスの場合、糞がでる肛門と、尿がでる尿道口がかなり離れていて、尿道口はほとんど胸近くにあるのが印象的だった。尿道口の周辺をマッサージすると、尿がぴゅーっと飛びだしてくる。水よりは濃厚な、ややとろんとした液体である。

 また、採血は胸びれから。イルカだと尾びれからのことが多いと思うのだが、マナティーの場合、緊張すると尾びれの血管が収縮してしまうので、胸びれがベスト、と獣医さんが言っていた。

 ここまできて、やっと菊池さんの仕事が始まる。

 菊池さんは、ディオゴと一緒に、マナティーの尾びれの付け根に装置を取り付ける。

 まずは、ビニールテープを巻いて強化した発泡スチロール素材のチューブをベルトとして使い、ぐるりと尾びれに一周させて固定。今回は湖内での行動を記録するだけなので、簡易的なものだそうだ。一方、肝心の装置は、浮力体で作られたタグの中に埋められていて、結束バンドでベルトと一体化している。3日後、自動切り離しタイマーでベルトの固定部が切れると、水面に浮かんでくる。ベルト自体も浮く素材なので、環境中になにも余分なものを残さずに回収できる仕組みだ。

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 装置の中に仕込まれているのは、加速度、水深、水温を記録する行動ロガーと、水中マイクで音響を記録する音響ロガー、そして、切り離されて浮いた機器一式を回収する時に必要なVHF発信器の3種類だ。3日間という短い間だが、マナティーたちが見通しのきかない水中で何をしているのか手がかりを与えてくれる。

装置に組み込まれるロガーと電波発信器。
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 手早く装着して、小屋での作業は終了。またトラックの荷台に載せて湖まで運び、水の中にリリース。捕獲からここまで、20分から25分程度だ。

 ぼくはここに3日間留まったのだが、1日1頭ずつで、結局、オス、オス、メスの3頭の姿を見ることができた。熟練のチームをもってしても、1日1頭というなかなか厳しい調査である。実は、ぼくが到着する前の日には、別の小さな湖で、6頭のマナティーを半日で捕獲しており「1日早くくればよかったのに」と多くのスタッフに言われた。しかし、こればかりは仕方ない。

 とにかく、縁あって、直接、近くで見ることができた3頭は、体格も体型も違い、興味深かった。

 2頭目は、1頭目に続き、オスで8歳。体長198 cm、体重126.5 kgと、少し小ぶりだった。

 3頭目は、5歳のメスで、182 cm、102 kg。一度、マナウスの国立アマゾン研究所で飼育されていた時期があり、そうすると、名前も与えられている。彼女は、保護された町の名前を取って、イランドゥーバ(Iranduba)だ。

 それぞれ体格だけでなく、顔つきも違っている。また、お腹の模様は本当に特徴的で、一度見ておけば、別のものと間違う余地はないと納得できた。

「アマゾンマナティー」という種の名前で捉えていた存在が、1頭1頭、個性をもった存在として見えてきた瞬間でもあった。

アマゾンマナティーのお腹。左が特徴的な丸い尻尾。お腹の模様は個体によって全く異なる。
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つづく

菊池夢美(きくち むみ)

1981年、東京生まれ。京都大学野生動物研究センター所属、プロジェクト研究員。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士号(農学)取得。主にマナティーの行動研究を行っているが、その他にも南極のウェッデルアザラシ、イセエビ、魚の鳴音など、幅広いデータを扱ってきた。2007年よりブラジルの国立アマゾン研究所との共同研究を開始し、動物搭載型の記録装置を用いたアマゾンマナティーの行動把握のための手法開発を行なっている。2009年には保護したアマゾンマナティーを再び川へと放流する野生復帰事業に参加した。2016年1月、京都大学と国立アマゾン研究所の共同プロジェクト(SATREPS「“フィールドミュージアム”構想によるアマゾンの生物多様性保全」)により、7年ぶりにアマゾンマナティーの放流を実施予定。放流個体の野生への適応を評価することを目指している。マナティーについての研究をFacebookページにて公開中。「Study of manatees(マナティー研究)

川端裕人(かわばた ひろと)

1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、少年たちの川をめぐる物語『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、天気を「よむ」不思議な能力をもつ一族をめぐる、壮大な“気象科学エンタメ”小説『雲の王』(集英社文庫)(『雲の王』特設サイトはこちら)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』(ともに集英社文庫)など。近著は、『雲の王』と同じく空の一族の壮大な物語を描いた『天空の約束』(集英社)、ニュージーランドで小学校に通う兄妹の冒険を描いた『続・12月の夏休み──ケンタとミノリのつづきの冒険日記』(偕成社)。
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 ――日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP)、「昆虫学」「ロボット」「宇宙開発」などの研究室訪問を加筆修正した『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)がスピンアウトしている。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。2015年10月に有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を開始した。