ところが一難去ってまた一難である。観測を約1週間後に控えた10月15日、ハワイ島の静かな日曜日の朝にマグニチュード6.7の大地震が襲ったのだ。幸いこの地震による犠牲者は出なかったのだが、マウナケア山頂にある望遠鏡は大きなダメージを受けた。すばる望遠鏡も例外でなく、修理と調整のため11月初めまでの観測はすべてキャンセルされてしまった。A計画の観測は、2005年に引き続き2006年も駄目だったのである。

 大地震でも観測時間の補てんはない。私は諦めずに、もう一度観測提案書を作成して、ハワイ観測所に提出した。このようにして、ようやくすべてのデータがそろったのは2007年の秋だった。足掛け3年、構想期間を含めると約5年をかけてA計画のデータを手にしたのである。

 やっとの思いでA計画のデータをすべてそろえた。しかし、時間がかかりすぎてしまったためか、A計画に対する私の想いも少しさめてしまっていた。それよりも、130億光年よりさらに先の宇宙を見るための別のプロジェクトに熱をあげるようになっていた。とは言え、せっかく苦労して取ったA計画のデータをそのまま放り出す気にもなれなかった。

 その頃の私はSTScIでの職務を完遂し、米国カリフォルニア州にあるカーネギー天文台へと研究の場を移していた。そして私は、A計画のデータをカーネギー天文台のコンピューターにダウンロードして解析を始めた。B計画の時と同じようにデータを解析し、130億光年彼方の天体を探す。さすがに130億光年彼方にある天体は暗くて検出が難しい。これまでやってきた128億光年彼方の天体よりも急激に難しくなった印象だ。結局、130億光年彼方で見つかった天体数は、128億光年のものの半分以下だった。それでも207個もあった。この数は、130億光年彼方の宇宙としては世界記録である。ただし、これら130億光年彼方の天体は、これまでと同じように画像に写った天体の色で選ばれている(連載第3回参照)。しかし、色の情報だけだと、間違った(130億光年彼方ではない)天体を選んでしまうことが多い。そのため注意が必要だ。

カリフォルニア州パサディナ市にあるカーネギー天文台本部。この天文台は、20世紀前半にウィルソン山天文台を所有・運営していた。そこでは、当時世界最大の口径100インチ(2.5メートル)のフッカー望遠鏡が稼働し、カーネギー天文台の研究者がその恩恵にあずかっていた。エドウィン・ハッブルもその一人で、彼はこの建物の1階(写真正面)にオフィスを構え、系外銀河や宇宙膨張を発見した。現代の観測的宇宙論が始められた聖地ともいえる。(写真:Carnegie Institution for Science)
[画像をタップでギャラリー表示]
1931年にカーネギー天文台本部の図書室で撮られた写真。カーネギー天文台本部は、アインシュタイン(右から3人目)とハッブル(左から2人目)が宇宙膨張の有無を議論した有名な舞台でもあった。アインシュタインの背後の黒板にあるのは「Rik=0?」という文字。これは、ハッブルの宇宙膨張の発見を信じた場合、アインシュタインが導入した宇宙定数はなくてよいのか?といった意味をもつ。(写真:Carnegie Institution for Science)
[画像をタップでギャラリー表示]

この連載の前回の
記事を見る

この連載の次の
記事を見る