第12回 ピラミッド・タウンの船乗りたち

 先日、ボスであるマーク・レーナー博士と新しい調査について、国際電話で話をした。彼はなにかあるとき、メールではなく、まず直接話すことを好む。とりとめのない日常会話や家族の様子などを尋ね、仕事の話に移る。この方法はけっこう気に入っている。メールなどでは伝わらない様々なことが、声のトーンやちょっとした間などから伝わってくるため、なんだかとてもやる気になるのだ(実際、プロジェクトの内容は刺激的だった)。

 Webナショジオの連載第2回「マーク・レーナー博士との出会い」に、このレーナー博士との出会いや、彼がどのような疑問をもってギザを歩き回り、そして「ピラミッド・タウン」を見つけたのかということについて書いた。今回は、改めて、1988年に発見されたピラミッド・タウンについて、少しまとめてみたい。特に、町の中心となる「ギャラリー」と呼ばれる堅固な営舎と、3年前に発見され、世界的に話題になった「クフ王の時代のパピルス」との関わりについて紹介しよう。

ピラミッド・タウンの地図。図の上部の青い線の部分が営舎。(写真:Courtesy of Ancient Egypt Research Associates, Inc.)
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 身びいきなしで、この四半世紀のピラミッド研究のなかで「最も偉大な発見は?」と問われれば、「ピラミッド・タウン」と答えるだろう。発見された当時は、その一部しか見つかっていなかったことから、ピラミッドを建造した労働者の村ではないかと考えられた。

 しかし、長年にわたる発掘調査によって、ここは職人が仮住まいするような小さな村などではなく、庶民から貴族、そしておそらく王族までも住んでいた巨大な都市であることがわかってきた。さらに、ここには巨大な港湾があり、人や物が流通する要地として発展した都市でもあったと考えられている。

 ピラミッド・タウンの発見によって、これまで謎の象徴だったピラミッドが、人間が関わる実際の建造プロジェクトとして理解されるようになり、そこから当時の社会基盤や交易システムなどについての研究が進むようになったのだ。

大ピラミッドの東側に埋葬されていたレバノン杉で作られた船。王が来世に行くときに使うとも、王の埋葬時に使用されたとも言われている。ギザは生と死のどちらの港でもあった。(写真提供:河江肖剰)
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