第1回 ピラミッドの発掘調査への長い道のり

砕け散った夢とロマン

 高校時代は勉強もそっちのけで武道三昧だった。大学受験に失敗したとき習っていた古武道の師匠から、なんのために大学に行きたいのか聞かれた。「古代エジプトの歴史が好きなので、できれば、そのことを勉強したい」と答えると、ではまず、エジプトに行ってくればいいと助言された。

 師匠は半ば冗談で言ったのかもしれないが、私は「なるほど!」と単純に納得し、その日からエジプト行きの準備を始めた。当時を振り返ると、最も有り難かったことは、両親や友人を含め、誰一人としてエジプト行きに反対しなかったことである。

古武道の稽古で剣術を練習する、高校時代の筆者。(写真提供:河江肖剰)
[画像のクリックで拡大表示]

 1年ほどかけてお金を貯め、大阪の伊丹空港からシンガポール航空で、エジプトの首都カイロに向かった。機内では、不安を感じながらも、エキゾチックな砂漠の冒険が始まることを夢見ていた。しかし到着すると、そのような幻想はすぐに砕け散った。

 カイロは東京以上に人が多いという印象を受けた。砂ぼこりの舞う町の雑踏は車のクラクションと排ガスに満ちあふれ、半分壊れたようなタクシーに乗ったり、店でものを買ったりするたびに交渉しなければならず、とにかく疲れる町だった。逃げるようにピラミッドがあるギザの遺跡に向かったが、そこも都心部以上に騒がしい場所だった。

 ピラミッドは、砂漠の真ん中に孤立して立っているのではなく、町のすぐそばに立っている。実際、泊まっていた安宿から車でわずか30分ほどの距離にあり、毎日、数万人の観光客と、何百人もの物売り、むちを持った厳めしい顔のツーリスト・ポリスがひしめく、喧噪に満ちた世界有数の観光地だったのである。

ギザのピラミッドを訪れる観光客たち。(写真提供:河江肖剰)
[画像のクリックで拡大表示]

 日本で想像していたことと、まったく違う世界に戸惑う日々だったが、帰ろうとは思わなかった。とにかく、まずここで生活を始めたかった。遺跡のガイドの仕事があると聞いたため、日本人を専門とする現地の旅行会社バヒ・トラベル・エージェンシーに連絡してみた。すると、アラビア語どころか、英語もおぼつかない10代の若造であるにもかかわらず、雇ってもらえることになった。