第5回 木村学 南海トラフからのクリスマスプレゼントとお年玉

 幸いに航海の最初の週にいきなり大きな成果が得られたので、航海の終わりまで時間があった。しかも後半にはもう一つの大きな目標、南海トラフ近傍のプレート境界断層そのものの掘削と試料回収という仕事が待っている。そのコアが回収された場合にも試料処理の方法は使えるのである。

 その後、大嵐がやって来て、やぐら(デリック)の上の掘削ドリルを回すモーターの故障や、最大の武器であるCTスキャンのメモリトラブル、X線発生のためのフィラメント不足など次々とトラブルが押し寄せる。何度も掘削継続の危機が訪れた。しかし、この難局を驚くほどのエネルギーと知恵と技術で乗り切ってゆく技術スタッフ。私は改めて、人間集団が共同で発揮する力の大きさに感動していた。

 そしていよいよ最後の、そして、最大のハイライト、プレート境界断層。ここもすでに第1次航海で一度掘削され、周辺の地層や岩盤の物理的性質と状態を知る物理検層のデータは得られていた。しかし、ここで困難にぶつかることとなった。掘れないのである。原因はなんと礫(れき)層なのだ。金魚鉢に敷き詰めるような玉砂利の層が掘削を阻んでいる。やむなく掘削の場所を移すことにした。そして、ついにプレート境界断層を貫通した。コアも見事に回収された。

解き明かされた地震津波断層

 先に回収してあった分岐断層と合わせて慎重に試した方法で、ついにプレート境界断層のコアも開いてみることとなった。

「これだ!」

 断層の中心部は、分岐断層もプレート境界断層も厚さ数ミリ程度の高速滑り断層を想起させるシャーブなすべり面が発見されたのだ。のちの分析によって、これらの断層に沿って高速滑り摩擦による温度上昇が発見され、地震津波断層と確定した。世界で初めての大きな成果であった。まさに、南海トラフが私たちにくれたお年玉だ。

 東北地方太平洋沖地震の発生結果を合わせると、南海トラフにおいても、高速で海溝に達するすべりが発生したことがあると判明したのである。つまり、今後も大規模なすべりが起こりうるということだ。この結果を受け、南海トラフの地震津波の最大リスクが、それまでのマグニチュード8.7から9.0へ変更され、中央防災会議においても今後の防災減災対策に生かされることとなった。

南海トラフ掘削で発見された高速滑りを示す地震津波断層。Roは輝炭反射率を示し、地震発生時の摩擦発熱温度と関係する。赤い部分で350℃を超える。この発見により、想定される南海トラフ地震の最大リスクが従来のマグニチュード8.7から9.0に引き上げられた。(図:Modified from <a class="white" href="http://dx.doi.org/10.1130/G31642.1" target="_blank">Sakaguchi et al., 2011, Geology</a>)
南海トラフ掘削で発見された高速滑りを示す地震津波断層。Roは輝炭反射率を示し、地震発生時の摩擦発熱温度と関係する。赤い部分で350℃を超える。この発見により、想定される南海トラフ地震の最大リスクが従来のマグニチュード8.7から9.0に引き上げられた。(図:Modified from Sakaguchi et al., 2011, Geology
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 南海トラフ地震発生帯掘削計画は今後、最後目標である超深度プレート境界掘削へ挑戦し、地震発生の切迫度を明らかにする場面へといよいよ移る。

 地震発生プレート境界断層の深度は海底下5200メートル。現在、掘削は海底下3000メートルまで届いている。あと少しだ。しかし、この先が前人未到の深さで、大きな困難も待ち構えている。同時に、応力がたまり、時々刻々と「地震津波の時」へ近づいている。「プレート境界断層はどの程度の強さをもっているのか? その強度限界に対し、今、どれ程の応力がたまっているのか?」。それが分かれば、南海トラフの掘削は人類史上初めて「地震前」に切迫の度合いを知ることになるのである。その期待される科学成果の意義は計り知れない。

満足のいく成果を上げられた研究航海が終わり、下船。「ちきゅう」に感謝しつつ、氏家恒太郎さん(現筑波大学准教授)と一緒に、久しぶりのビールで乾杯!(撮影:山口飛鳥)
満足のいく成果を上げられた研究航海が終わり、下船。「ちきゅう」に感謝しつつ、氏家恒太郎さん(現筑波大学准教授)と一緒に、久しぶりのビールで乾杯!(撮影:山口飛鳥)
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 次回は、学生時代から「ちきゅう」に乗り、この船と一緒に育ったと言ってもよい若き研究者の山口飛鳥くんにバトンタッチ。

木村 学(きむら がく)

1950年北海道生まれ。北海道大学卒業。同大学院理学研究科修了。理学博士。日本地質学会会長、日本地球惑星科学連合会長を歴任。現在は東京大学理学系研究科教授、日本学術会議会員日本掘削科学コンソーシアム会長を務める。専門はテクトニクス・構造地質学。著作に『地質学の自然観』(東大出版会)、『プレートテクトニクス入門』(講談社)ほか。

地球深部探査船「ちきゅう」

2005年7月29日、建造完成。科学的調査や研究のために海底下7000メートルまで掘削することが可能。世界トップクラスの掘削能力を使って、地中深くからコアサンプルを採取し、地球の内部構造や巨大地震発生のメカニズム、生命誕生の謎などを解き明かそうとしている。2007年からは、日米が主導する統合国際深海掘削計画(IODP)の主力船として、南海トラフ地震発生帯や下北半島八戸沖の石炭層、東北地方太平洋沖地震の発生帯、沖縄熱水海底下の生命圏の掘削を実施してきた。究極の目標は、人類未踏のマントル到達だ。 全長:210メートル(新幹線約8両分)●幅:38メートル(フットサルコートの長さ)●船底からの高さ:130メートル(30階建てビル)●国際総トン数:56.752トン●最大乗船人員:200人●航海速力:12ノット(時速約22キロ)●航続距離:約14,800海里(27,410キロ)