番外編 稲垣史生「海底下に世界最深の生命圏を発見」のここがスゴイ!

海底下1.5km以深で生命が激減した理由

 さて、ここで最初の発見を説明した際に後回しにした、「海底下生命圏の限界」について考察しよう。海底下2466mまでの地層温度は60℃以下であり、自然環境中の微生物が生息可能な温度範囲内であるにもかかわらず、なぜ「生命圏の限界域」に相当するような極度の微生物量の低下が起きているのだろうか?

 地球の内部環境(あるいは地球以外でも)で生命が生息するには、複数の条件が持続することが必要である。また、たとえ条件がそろっていても、必ずしもそこに生命が繁茂・存続できるわけではない。

 一般に、海底下の地層環境は、深くなるにつれて形成時代が古くなり、温度が高くなっていく傾向がある。一方、核酸(DNAやRNAなど)やアミノ酸から構成されるタンパク質など、細胞を作る物質(生体高分子)は温度が高くなるにつれて壊れやすくなることが知られている。例えば、タンパク質の変性でゆで卵ができる現象がそうだ。

 生命が生きていくためには、それらの壊れた部分を酵素によって修復するか、世代交代を含めて新しくそれらを作り出す必要がある。どちらも酵素や生合成代謝経路を働かすための水やエネルギー基質が、持続的に供給されていなければならない。また、そこに生息する微生物も、そのような代謝ができる機能を備えている必要がある。

「下北八戸沖石炭層生命圏掘削」プロジェクトで確認された地層中の微生物細胞の濃度プロファイル(青線)と世界平均ライン(緑破線)、生体高分子の損傷率のプロファイル(オレンジ線)を示した概略図。もし環境中に、生体高分子の損傷を修復し新しい生合成代謝を支えるための水とエネルギー基質の供給が十分にあるような地質学的条件であれば、細胞数の急激な低下は起こらずに、生命圏はさらに深部まで拡大する可能性がある。
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 下北八戸沖の海底下深部の場合、現場に生息する微生物の生存や存続に必要な水やエネルギー基質の供給が十分ではなく、静かで安定的な環境であったことが「生命圏の限界域」となった要因の一つと考えている。

 実際に、掘削された地層サンプルを60トンの圧力をかけて絞っても、地層の鉱物と鉱物の隙間にある水(間隙水という)は、数滴の涙ほどの量しか採取できなかった。それだけ外から水や物質が入ってこなかったということであり、だからこそ、太古の陸域土壌に由来する微生物生態系が保たれ、高温環境に適応できる新たな微生物が混入しなかったわけだ。

 海底下1.5kmを超えると、陸域由来の微生物たちは周囲の温度上昇に伴って急速に生体高分子の損傷率が高まり生存のピンチに陥ったと同時に、石炭層以外の泥質頁岩などでそれを補う水や栄養・エネルギー基質の供給が閉ざされ、結果として微生物量の急激な低下を引き起こしたと考えられる。