これまで「ちきゅう」と「JR号」で、10回以上の掘削航海に参加した私だが、最も印象に残っている航海を一つ挙げるとすれば、それは間違いなく江口氏が前回紹介した「東北地方太平洋沖地震調査掘削(JFAST)」だ。なぜなら、あの震災の原因を究明するという“日の丸”を背負った重責、技術的な限界への挑戦、度重なる失敗とそれを乗り越えた科学者と技術者のチームワーク、そして最後に手にした輝かしい成果。「ちきゅう」ミッションのあらゆる側面が凝縮されたドラマチックな航海だったからだ。

 まずはこの航海の経緯を簡単にお話ししておこう。東北沖地震の最大の特徴は、これまで地震が起きても大きくすべらないとされてきたプレート境界断層の浅い部分で50メートルものすべりが生じ、それが巨大津波を引き起こしたということだ。この現象を解明するため、1年という異例の短い準備期間を経て、海底のすべり断層を「ちきゅう」によって“直接診断”する掘削計画が実現した。

 この調査の目的は2つ。一つは、断層まで届く穴を掘り、そこに温度計を入れることだ。断層が50メートルもすべったのなら、その時に発生した摩擦の余熱を検出できると考えたからだ。そしてもう一つは、断層のサンプルを採取し、どんな物質がどのような条件ですべったのかを確かめることだ。この掘削調査は水深7000メートルの海底からさらに1000メートルの穴を掘るという、これまで誰も挑んだことのない未知の領域への挑戦だった。「ちきゅう」のやぐらから水深7000メートルの海底まで直径約20センチのドリルパイプを下ろし、その先端のドリルを回転させながら断層を目指して海底を掘り進める。これは例えて言うなら、3階建てのビルの屋上からシャープペンの芯を地上まで伸ばし、屋上からくるくる回しながら地面を1メートル掘ることに相当する。

 科学掘削や地震に関わる研究をしてきた者にとって、この1000年に一度の巨大地震の謎を解明するミッションに貢献したいと考えるのは自然な事だ。乗船を希望する科学者の数も多く、選抜倍率はそれまでの研究航海を大きく上回った。最終的に約30名の研究者が日米を中心に世界各国から招集され、幸いなことに、私もこの研究チームのメンバーに検層の専門家として選出されることとなった。光栄なことである。

2012年4月1日、「東北沖地震の謎を解き明かす」という重大な使命を背負った研究者、技術者、乗組員、総勢200名を乗せ、宮城沖での「ちきゅう」大ミッションが始まった。清水港を出港した「ちきゅう」を三保の松原から望む。(提供:静岡大学 道林教授)
2012年4月1日、「東北沖地震の謎を解き明かす」という重大な使命を背負った研究者、技術者、乗組員、総勢200名を乗せ、宮城沖での「ちきゅう」大ミッションが始まった。清水港を出港した「ちきゅう」を三保の松原から望む。(提供:静岡大学 道林教授)
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 2012年4月1日、「ちきゅう」は静岡県清水港を出港し、宮城県牡鹿半島東方沖200キロの海域での54日間の掘削調査が始まった。この航海での私の役目は、東北沖地震ですべった断層を検層によって見つけ出すこと、そして検層データを頼りに断層のサンプルを確実に回収することだった。これまで世界各地のプレート境界で断層を見つけてきた私の経験を生かし、「断層ハンター」としてこのミッションに貢献したいという強い思いがあった。断層の位置を特定するための我々が最初に用いたのは、掘削同時検層というツールだ。船からドリルパイプを海底まで下ろし、その先端のドリルで海底を掘りながら、電気抵抗や放射能を計測するセンサーで掘ったばかりの壁をスキャンして地層の特徴をとらえる。まるで内視鏡のように地下を診断するツールだ。この担当者として乗船した私はプレッシャーを感じずにはいられなかった。この方法で断層を見つけ出すことができなければ、この調査計画自体が窮地に追い込まれるからだ。

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