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クリスマスのシンボルといえば、陽気なひげのおじいさん、サンタクロース。このロシアの聖像には、サンタのモデルとなった3世紀ギリシャの司教聖ニコラウスと、彼の生涯を表す場面が描かれている。(HIP, ART RESOURCE)
中世のクリスマスのごちそう
時がたち、クリスマスの人気が高まるにつれ、新たな伝統が生まれていった。中世イングランドでは、クリスマスは12日間続く祝祭となり、劇や盛大な宴会、イエスの誕生を祝う行列など、さまざまな催しが行われた。音楽、プレゼント、飾り付けなども、一般的な慣習となった。
とくに君主たちは豪華な祝宴を催した。ヘンリー3世が13世紀に開いたあるクリスマスの祝宴では、招待客が牛600頭をたいらげたという。大学では、ホリデーシーズンの間、「クリスマスの王」あるいは「豆の王」が選ばれ、仲間たちを「支配」することができた。そして、たとえ祝宴は質素なものであろうとも、賛美歌やクリスマスキャロルは必ず歌われた。
しかし、だれもがこうした祝祭を楽しんでいたわけではない。1644年には、英国の清教徒たちがこの祭りを禁止したことから暴動が起こり、これは第二次イングランド内戦につながる火種ともなった。
ドイツの影響
クリスマスを祝っていたのはイングランドだけではない。この行事を祝う世界中の人々が、それぞれの冬の祝祭の習慣をクリスマスに取り入れていった。とくに大きな影響を与えたのは、おそらくドイツ人だろう。
ドイツは、世界に共通するシンボルであるクリスマスツリーを生み出した国とされている。クリスマスツリーの起源は、木の枝に飾りを付ける異教の伝統にある。ドイツ人はこの伝統を採り入れて、室内に置いたモミの木にキャンドルとプレゼントを飾った。19世紀、ドイツにルーツを持つ英国のロイヤルファミリーがクリスマスツリーを飾ったことをきっかけに、この習慣は世界的な流行となった。(参考記事:「クリスマスツリーはいつ、どこで生まれたのか?」)
リースやクルミ割り人形、クリスマスマーケットなど、多くの伝統を生み出したドイツでは、クリスマスは政治による影響も受けた。1930年代、ナチスはクリスマスを、キリスト教と関係のない第三帝国の祝日として再定義することを試みている。
米国で高まるクリスマス人気
イングランドと同様、米国の清教徒たちも1659年にマサチューセッツ州でクリスマスを禁じ、この措置は1681年まで続いた。米国では、クリスマスはさほど盛大な祝祭ではなかったが、これが変わるきっかけとなったのは、南北戦争によって家庭や家族の大切さが再認識されたことだった。終戦後の1870年には、連邦議会によってクリスマスが最初の連邦祝日に指定されている。
一方、19世紀後半に大勢の移民が米国に流入してくると、彼らと一緒にそれぞれの国の伝統が持ち込まれた。クリスマスを研究する歴史家ウィリアム・D・クランプ氏の著書『The Christmas Encyclopedia(クリスマス百科)』にある通り、これによって「クリスマスのるつぼのようなもの」が作り出され、「さまざまな文化が融合することで、家庭で家族と一緒に祝うという、より統一感があり、幅広い人々によって祝われる休日となった」
移民たちが持ち込んだそうした文化から、やがていかにも米国らしい有名人が誕生した。サンタクロースだ。
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