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朝日を受けてピンクがかったように見えるタージ・マハル。皇帝が愛する妃のために建立したこの荘厳な霊廟は、日光の変化とともに色を変える。(MICHELE FALZONE/AWL IMAGES)
インドのタージ・マハルは、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、愛する妃ムムターズ・マハルのために建立した荘厳な霊廟だ。ムガル帝国の象徴というだけでなく、今や世界屈指の建築作品として知られている。ムムターズ・マハルは、夫婦の14人目の子どもを出産中に死去した。
ペルシャ語で「王冠の宮殿」の意味をもつタージ・マハルには、17世紀の建設から数百年にわたり、多くの巡礼者や恋人たちが訪れてきた。1983年にユネスコの世界遺産に登録され、2007年には新世界七不思議にも選ばれた。(参考記事:「世界の七不思議、千年働いた超巨大「アレクサンドリアの大灯台」」)
おしどり夫婦
ムムターズ・マハルは、1593年、インドのアーグラでペルシャ貴族の家に生まれた。子どもの頃の名は、アルジュマンド・バーヌー・ベーグムという。父親は、シャー・ジャハーンと義理の兄弟にあたる。シャー・ジャハーンは、皇子時代に美しいアルジュマンドに一目ぼれし、2人は1607年に婚約する。その後、宮廷の占星術師によって時期が良いとされた1612年に結婚し、アルジュマンドはシャー・ジャハーンによってムムターズ・マハル(宮殿の選ばれし者)という名を授けられた。
それから19年間、ムムターズとシャー・ジャハーンはともにムガル帝国を旅した。ムムターズが夫のそばを離れることはほとんどなく、14回の妊娠中も、夫の遠征に付き従った。彼女はシャー・ジャハーンの良き相談相手であり、友人であったが、自らが政治的権力を求めることはなかった。シャー・ジャハーンは1628年、父親の死の翌年にムガル帝国の皇帝となる。
2人の間に生まれた14人の子どものうち7人は幼くして亡くなり、ムムターズ自身も、1631年に遠征先で出産中に死去した。シャー・ジャハーンは、妻の死から完全に立ち直ることはなく、その後20年間、妻への永遠の愛の象徴である霊廟の建立に全力を注いだ。
ところが、そのせいもあって国の統治がおろそかになり、子どもたちの間で帝位争いが起こった。1658年、そのうちの1人であるアウラングゼーブが兄弟3人を殺害して皇帝の座に就き、父親のシャー・ジャハーンをアーグラ城に幽閉した。1666年、シャー・ジャハーンは、そこに幽閉されたまま息を引き取った。(参考記事:「史上最強の企業、英国東インド会社の恐るべき歴史」)