Photo Stories撮影ストーリー
かつて、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の秘密警察シュタージは、厳しい監視体制を築き、自国民に対して諜報活動を行っていた。ジークフリート・ヴィッテンブルクさんは、そのシュタージが作成した自分に関する諜報ファイルを目の前にして椅子に座り、はやる気持ちを抑えてそれを開いた。時は1999年。ベルリンの壁崩壊と東西ドイツ統一から10年が経っていた。
「まるで、犯罪小説を読むような気分でした」と、ヴィッテンブルクさんは話す。
旧東ドイツ時代に写真家として活動していたヴィッテンブルクさんは、社会主義政権下に置かれた国民の生活を長く撮影していた。そのなかには、政府が外部に見せたくない貧困や物資の不足、抗議活動の様子の記録が含まれていたため、1980年代に開いた写真展では、一部の写真が検閲を受けた。そのような過去があったため、シュタージのファイルに何が記されているのか、ヴィッテンブルクさんが気になったのも無理はない。
旧東ドイツ時代に自分を密告したのは誰なのか、自分はどこまで監視されていたのかなど、ヴィッテンブルクさんのファイルは、長年抱いていた疑問に答えをくれた。その日6時間かけてファイルを読み終えると、様々な感情がこみ上げてきた。なかには全く関係のない無駄な情報も含まれていて、思わず苦笑いした部分もある。たとえば、前後の脈絡を完全に無視して抜き出された自分の発言や、英語で書かれているため判断不能とされた手紙などだ。
だが、なかには身の毛がよだつような情報もあった。まさかここまで厳しく監視されていたとは、思ってもみなかったという。密告者のなかには、組合仲間、上司、文化的な団体で知り合った人、そして何より驚いたことに、妻の親友のパートナーまで含まれていた。情報量もさることながら、その収集法にも驚かされた。シュタージはヴィッテンブルクさんの部屋の中まで捜索していたようだった。自分がいかに危うい状況にあったかを徐々に理解しはじめ、それが家族にどんな影響を与えただろうかと考えた。「何かあと一つでも間違った行動を取っていれば、刑務所に入れられていたでしょう」
「シュタージ・アーカイブ(文書)」は、ベルリンのリヒテンベルク区にある元秘密警察本部ビル内に保管されていた。1991年に一般公開されてからこれまでに、ヴィッテンブルクさんを含む700万人以上が、諜報ファイルの閲覧を申し込んだ。
そしてベルリンの壁崩壊から30年以上が経った今年6月、シュタージ・アーカイブという形式が廃止された。保管されていたファイルは今後、ドイツ連邦公文書館の資料として、東部5州にある分館に移される。
1989年に起こった平和革命の際、シュタージの数百万もの諜報ファイルを活動家たちが保護してアーカイブにした。旧東ドイツが1949年から1990年まで、自国民に対して実施した諜報活動の全記録は、何としても保存する必要があると考えたためだ。
東ドイツが過去を清算するためには、この記録文書を失うわけにはいかなかった。その初代特別連邦受託官に任命されたヨアヒム・ガウク氏は、2012年にドイツ連邦大統領に選ばれている。
シュタージ・アーカイブの業績をたたえて最近開かれた記念式典で、その存在意義についてガウク氏は次のように語っている。「1989年の民主化運動に関わった人々にとって、ファイルを保存することの重要性に疑問の余地はありませんでした。むしろ、それをいかにして行うかが問題でした。私たちは、独裁体制の過去を清算するための政治的、法的、歴史的プロセスを始めたかったのです」
並べると長さ111キロメートルにもなる膨大な量のファイルから明らかになった事実によって、過去30年の間に、逮捕や辞任に追い込まれた高官がいた。ドイツ民主共和国時代の歴史的研究を進めるうえで重要なファイルもある。より個人的なレベルでは、監視されていた本人だけでなく、その子どもや孫世代にとっても、貴重な情報や疑問の解明をもたらした。
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