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ボスニア・ヘルツェゴビナ北西部、ビハチの町。クロアチアに渡る直前、屋外キッチンで調理するパキスタンからの移民たち。(PHOTOGRAPH BY ZIYAH GAFIC)
歩いて欧州めざす移民たち、中継地ボスニアでの不安な日常 写真15点
2021.05.19
アジアや中東から何千キロもの距離を歩き、ひそかに西欧をめざす移民たちがいる。警察の目を逃れ、犯罪者をやり過ごしながら国境を越えていくその危険な試みを、彼らは「ザ・ゲーム」と呼ぶ。
2015年、数千人の移民がギリシャから北上し、セルビア、ハンガリーを経由して西欧へやってくるようになった。しかし、2017年、ハンガリーが国境の取り締まりを強化すると、ルートは西のボスニア・ヘルツェゴビナへと移った。(参考記事:「ヨーロッパの入り口で足止めされる少年難民たち 写真25点」)

彼らはここから、欧州連合(EU)加盟国であり、西欧への入り口となるクロアチアに入国したいと考えていた。ボスニア・ヘルツェゴビナは、クロアチアと長い国境線で接しており、そこは山や川が多く取り締まりが困難なため、移民たちが西欧へ向かうルートの重要な中継地となった。
写真家のジヤ・ガフィッチ氏は、この1年間、母国ボスニアで移民たちの実像を記録してきた。「ゲームとは、より良い生活を手に入れるまでのプロセスの全てを指しています」
ガフィッチ氏が取材を始めて以降、約7万人の難民・移民がボスニアを通過した。現在、ボスニアでは新型コロナウイルス感染症の第3波が発生しており、移民や難民をめぐる政治的・社会的な緊張が高まっている。
「歴史上ずっと、この国は人が去っていく場所でしたが、突然、EUの『門番』になったのです」とガフィッチ氏は言う。「ある意味、詩的です。けれど、私たちは彼らに基本的な安全を提供することができていません。煉獄のようなものです。ここに留まって、国境を越える機会を待つだけなのです」
国際移住機関(IOM)によると、パンデミックの影響で、2019年から2020年にかけてやってきた移民の数は半減した。それでも、同国の5つの受け入れ施設は満杯で、約4700人の移民、難民、庇護希望者が滞在している(いずれも国際法上は別のカテゴリー)。
これらの人々の数は数字としては小さいものの、移民たちは危険な状態にある。原因はボスニアの政治体制の複雑さだ。
1990年代にユーゴスラビアから独立して以来、ボスニア・ヘルツェゴビナは2つの自治的な組織から構成されており、それぞれが独自の大統領と法律制定機関をもっている。一方で、国家元首は3つの主要な民族の間で8カ月ごとに交代する。1995年の和平協定によって導入されたこの権力分立の仕組みが、迅速な決定を阻んでいるのだ。
「ボスニアの状況の複雑さが、対応を格別に困難なものにしています」と、IOMボスニア・ヘルツェゴビナ支部代表のローラ・ルンガロッティ氏は話す。「多くの人がこれを移民危機と呼びますが、そこには誤解があります。全ての人のニーズと権利を満たす仕組みや戦略が、現時点で存在していません。そのことが、この問題を緊急かつ切実なものにしています」
移民受け入れ施設から医療サービスまで、あらゆることが政治的な緊張感を高め、分断を深めている。「国が分断されているのと同じだけ、この問題に関しても分断があります」とルンガロッティ氏は言う。
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