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バーミヤン渓谷の大仏の前を歩くハザラ人の戦士たち。この写真が撮影された1996年当時、一帯にはパキスタンから戻ってきた難民も数多く暮らしていた。

爆破から20年、バーミヤン大仏を撮っていた写真家の危険な潜入 写真9点

2021.03.26
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 1996年7月、フランスの写真家パスカル・メートル氏は、アフガニスタンのバーミヤン渓谷の岩山に彫られた巨大な仏像を3度目指したが、すべて失敗に終わった。氏は「レクスプレス(L’Express)」誌の取材でアフガニスタンの首都カブールに滞在していた。カブールからバーミヤンまでの距離は100マイル(約160キロ)にも満たない。それでも出発の朝になると、運転手は毎回キャンセルした。報酬を弾むと言っても無駄だった。

 後で判明したことだが、ルート上の検問所には武装集団が人を配置し、四輪駆動車を手に入れたがっていた。現地の人々は車が没収されるとわかっていたのだ。最終的に、メートル氏は友人に助けを求めた。数日後、メートル氏はすし詰めの通勤客ごと路線バスをレンタルし、ペラハン・タンバンと呼ばれるアフガニスタンの男性が着るチュニックとパンツを着用して検問所を切り抜けた。

【関連ギャラリー】もう見られないバーミヤン大仏、破壊前の貴重な写真9点(写真クリックでギャラリーページへ)
バーミヤン渓谷の大仏は、一帯がシルクロードの中継地としてにぎわっていた6世紀に建造が始まった。

 バーミヤンは危険を冒してでも行く価値のある場所だった。6世紀に建造が始まった高さ約38メートルと55メートルの石仏が渓谷を見下ろすように立っていた。石仏は老朽化し、放置され、戦争の被害を受けてボロボロになっていたものの、かつてこの地が活気に満ちたシルクロードの中継地だったことや、仏教研究の中心地だったことをまざまざと思い出させてくれた。アフガニスタンの情勢が不安定になるまで、バーミヤンは多くの旅行者や考古学者を引き付けていた。

イスラム原理主義勢力タリバンがアフガニスタンを支配する前は、ハザラ人の戦士たちが麓の村に暮らし、タリバンと戦うための武器を大仏の足元に保管していた。
何世紀にもわたり、旅行者や考古学者、巡礼者が巨大な仏像を訪れていた。ユネスコは壁画で装飾された洞窟と、仏教寺院を含むバーミヤン渓谷全体を世界遺産に登録している。

 メートル氏は何度もアフガニスタンに来ていたが、バーミヤンを訪れたことはなかった。同氏は丘に登り、2体の大仏とその足元に広がる小麦畑、背後のヒンドゥークシュ山脈を眺めた。

 渓谷にはハザラ人の武装した男たちが集まっていた。彼らは渓谷を長く支配してきた民族で、国の支配権を争うイスラム原理主義勢力タリバンとの戦闘に備え、大仏の足元にいくつも彫られた洞窟に武器や弾薬を保管していた。洞窟にはパキスタンから戻ってきた戦争難民も暮らしていた。その天井は7世紀の油絵で装飾されており、油絵としては世界最古の部類だ。(参考記事:「嘆きのハザラ アフガニスタンの異端者」

【関連ギャラリー】もう見られないバーミヤン大仏、破壊前の貴重な写真9点(写真クリックでギャラリーページへ)
写真家のパスカル・メートル氏が1996年に訪れたとき、アフガニスタン中央部のバーミヤン渓谷にはまだ2体の大仏があったが、その5年後の2001年3月、タリバンによって破壊された。写真は大きい方の大仏。

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