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メキシコの町オアハカでは、今でもフォルクスワーゲン・ビートルが当たり前のように走っている。(PHOTOGRAPH BY ADAM ROSE)
メキシコシティーに住むエンリケ・ワンツケ氏はかつて、メキシコで最も古いビートルを所有していた。アボカド色の1950年式で、後部の窓が真ん中でふたつに分かれているスプリットウィンドウ型と呼ばれるタイプだった。「ビートルは、ガレージに住む家族の一員です」と語るワンツケ氏は、ラテンアメリカでも有名なフォルクスワーゲンのビンテージショー「トレッフェン」の開催に関わっている。「多くの人に愛され、どこの国へ行っても愛称がつけられています。ブラジルでは『フスカ』、エクアドルでは『ピチリロ』、コロンビアでは『プルガ』、ペルーでは『サピート』。そしてここメキシコでは、誰もが『ヴォチョ』に夢中です」
ビートルの幅広い人気の秘密は、その独特の外見にある。「見た人々を笑顔にさせる何かが、この車にはあるんです」と、カイレンス氏。「時代を超越したデザインでしょうか。攻撃性を感じさせない丸みを帯びた形、明るい色、そしておそらくは小型であること」。マクレガー氏も、「感じのいい、幸せの形をしているんです。とても不思議なんですが、機械である以上に、魂があるというか。そう、魂を持っているんだと思います」という。
なぜメキシコでこれほど人気なのか
ナチス・ドイツで生まれ、戦後ドイツを占領した英国の手によって復活し、60年代には米国のヒッピーの間で人気が高まったビートル。だが、なぜその「余生」をメキシコで過ごすことになったのだろうか。
「この自動車は非常に頑丈で長持ちします。空冷エンジンなので、冷却水は一切必要ありません。いつまでも走り続けられます」と、ヒオット氏は言う。
カイレンス氏も、「10年以上ビートルを修理しながら乗っていますが、一度もレッカー車を呼んだことはありません。芝刈り機を少し複雑にしたくらいの構造だから、修理するのに専門的な知識もいりません。町から離れた土地に住んでいても扱いやすい、信頼できる車なんです」と話す。
ビートルが初めてメキシコへやってきたのは、1954年のこと。展示用として、メキシコ湾に面したベラクルスの港へ到着した。するとあっという間に人気に火が付き、1964年には、プエブラにドイツ国外で最大のフォルクスワーゲン製造工場が建設されるまでになった。1973年には、メキシコで販売された自動車のうち3分の1をビートルが占めていた。
やがて安全基準が厳しくなり、日本車に市場シェアを奪われ、1978年にドイツ本国での製造が終了した後も、プエブラ工場は25年にわたって旧型のビートルを作り続けた。それが2003年に終了した後も、工場では第2世代、第3世代のビートルが製造された。そして2019年、マリアッチバンドの演奏とともに最後の新車を組立ラインから送り出した後、ついにビートルの製造に幕が下ろされた。その頃には、タクシーとして活躍していた第1世代のヴォチョは、ほとんどが廃車になっていた。
「メキシコの歴史の象徴」
だが、これまでの歴史からわかるように、メキシコでヴォチョ文化が終焉を告げるのは、まだ先のことになりそうだ。「地方の町ではまだタクシーとして使われていますし、農場では農耕馬のように働いています」と、カイレンス氏。「人々は突然気づくんです。自分の家のガレージに眠っているのは、メキシコの歴史の象徴ではないかと。そしてさらにたくさんの人が、それを修理して使えるようにする。このようにして、多くの古いビートルが復活しています」
マクレガー氏は、車の未来は電気自動車にあると考えている。そこで、1954年のビートルを完全な電気自動車に改造した。「中身は完全に変わってしまいましたが、外から見ただけではわかりません。ところが、運転してみると音が全くしないのです。通りかかった人は、びっくりしますよ」(参考記事:「米国もついに電気自動車の時代へ? バイデン政権が改革」)
人を笑顔にするのは、そのデザインだけではない。ヒオット氏は次のように話す。「ビートルは100年近くもの間、人々の生活に密接に関わってきました。路上を走るビートルは、まるでタイムカプセルのようです。その光景は人々の記憶を呼び覚まし、このような機会でもなければ語られることのなかった物語が語られる。だからこそ、こうしたモノには存在価値があるのです」