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4月6日 家から出られない(イタリア ミラノ):グレタ・タニーニとクリストフォロ・リッピは、2020年3月初旬にミラノが都市封鎖されたのを機に一緒に暮らすようになった。外出できない間、学生である二人はオンラインで授業を受けたり、研究プロジェクトに取り組んだりした。「誰かの健康を脅かすよりは、家から出られない生活を選びます」とタニーニは話した。(写真:ガブリエレ・ガリンベルティ) 「撮影用の照明を私が窓の外に置き、住民が自ら室内にセットしました。そして窓越しに立つ位置などを指示して撮りました」̶ ガブリエレ・ガリンベルティ
世界は体験したことのないロックダウンに突入し、互いに距離を保つよう強いられ、ストレスにさいなまれた。
意図的に孤立した環境に身を置く人々もいる。たとえば宇宙飛行士や登山家、修行僧などだ。だが大半の人は、社会と交わることで、生き生きと暮らすための「充電」をしている。2020年、そのコンセントが抜かれた。3月、世界は静かに隔離へと向かう。集会は禁止され、学校や職場は閉鎖された。外出禁止令が出され、世界は奇妙な静けさに包まれた。
新型コロナの時代、「隔離」の概念を考え直すことになった。外国に足止めされたり、職場や学校に行けなくなったりして、友人や家族から引き離されることも、「隔離」の範囲に入るのだ。
ステイホームできるのは一つの特権だ。社会生活の維持に欠かせない職種に就くエッセンシャルワーカーたちは、健康を守るか、責任を果たすかの選択を迫られた。初期の感染拡大の中心地の一つだったイタリア北部のベルガモでは、葬儀業者のアントニオ・リチャルディが家族に感染させることを恐れ、2カ月間も職場で寝起きした。「死ぬことを恐れていました」と、彼は振り返る。「死の恐怖を感じたのは、生まれて初めてでした」
死もまた孤独なものとなった。80代で亡くなったマリー・テレーズ・ワスマーの葬儀は、フランスの感染爆発の引火点の一つだった小都市ミュルーズの外れで行われた。ウイルス検査は受けていなかったものの、感染者と同じように葬られることとなり、友人も家族も葬儀には参列できなかった。彼女の遺体は司祭と葬儀業者が埋葬し、家族に代わって彼らが祈りをささげた。

「現状に慣れ過ぎることが心配です。世界が再びスピードアップしたとき、騒々しくなることを不快に思うでしょう」
̶ ラファウ・ミラ(コロナ禍の静けさについて)

参考記事:「「ズーム疲れ」は脳に大きな負担、なぜ?」