Photo Stories撮影ストーリー

3月21日、ロサンゼルスのスキッド・ロウで初の新型コロナウイルス感染者が出た。町ではマスク姿の人も見るようになったが、無料の食事を受け取るために人々が行列を作ることも多く、社会的距離の確保は難しい。(Photograph by Michael Christopher Brown)
写真撮影に応じてくれた人々のなかには、自分は免疫系が強いので心配はしていないという人がいた。インフルエンザみたいなものでしょう、という人もいた。スキッド・ロウに住んで5年になるイスラム教徒のファティマさん(37歳)は、運命を神の手に委ねていると言う。「祈りは効くのよ。祈れば、神は応えてくれるわ」。ファティマさんのように感じている住民は多い。
軍服を着たロンさんは、不安気に左右の足に交互に体重をかけながら、インタビューに応えてくれた。スキッド・ロウから数ブロック離れたところに住み、ここではなるべく長時間は滞在しないようにしているが、慈善団体から食事と薬をもらうために来なければならなかったと話す。派手な模様のバンダナをマスク代わりにしていた。これから軍放出品の店で人工呼吸器がないか探しに行く予定だという。「5~6年路上生活をしてきたが、今流行ってるこのウイルスは本当に怖いよ。深刻さをわかっていない連中も多いが、そういったやつらが感染したら、もう打つ手はないだろうね」
住宅やその他のサービスを手配するロサンゼルス・ホームレス・サービス・オーソリティは、ホームレスが寝泊まりできるようにコミュニティーセンターを開放して、そこへ行くまでのバスを運行している。簡易式の手洗いスタンドと公衆トイレも、各所に設置した。
私は、社会の片隅で厳しい生活を送る人々を写真に撮りたいと思うことが多い。数年前にロサンゼルスに引っ越してから、スキッド・ロウのことを知り、興味を持った。その前は、アフリカ中部と北部、ラテンアメリカ、中東など、主に海外の紛争地帯で取材をしていた。だが、娘のポピーが生まれてからは、家から遠く離れた場所での仕事を制限するようになった。
初めてスキッド・ロウを車で通ったとき、テントの数と人の多さに驚いた。米国というよりはコンゴ民主共和国にいるような、生のエネルギーを感じた。だが、実際にここで写真を撮るようになるには時間がかかった。スキッド・ロウの人々と関係を築き、彼らをここへ導いた破壊的な力が何であるかを理解する前に、私自身が前の仕事で負った心的外傷後ストレス障害(PTSD)の問題に取り組む必要があったのだ。
始めの頃は、町でよく顔が知られている人々と一緒に道を歩いた。週に何度か足を運び、時には一日中町で過ごして、顔を知ってもらうことが重要だった。身の危険を感じる地域もあった。特に麻薬密売人などは、私のことを警察か、または何か裏の目的を持っているのではと疑っていたようだったが、最近は警戒心を解いてもらえたようだ。取材中はできるだけ自分自身を抑えて、相手から接近してもらえるように努めた。
スキッド・ロウで写真を撮り始めてからだいぶ経つので、今では行く度に顔見知りに会うようになった。地域社会にここまでつながりを感じたのは、米国では初めてのことだ。ここでは、どんなに傷ついていようとも、人々はお互いを助け合うために最善を尽くす。
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