Photo Stories撮影ストーリー

【ギャラリー】「虎の血が流れる」女性戦場記者ディッキー・シャペルの軌跡 写真24点(写真クリックでギャラリーページへ)

ベトナムでの仕事中に機材を手にする戦争ジャーナリストのディッキー・シャペル。戦争で荒廃したこの国に入った頃には、すでに数十の紛争取材を経験していた。(PHOTOGRAPH COURTESY NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

「虎の血が流れる」女性戦場記者ディッキー・シャペルの軌跡 写真24点

2018.08.28
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「スクリーミングイーグルス」の別名を持つ米陸軍第101空挺師団の面々と共に、ディッキー・シャペルは高い塔から飛び降りた。それに先立つ36時間は恐ろしいものだった。シャペルは41歳で、パラシュートを使った経験はない。しかし、従軍記者のパイオニアである彼女はいつまでも怖がりはしなかった。無事に降下を済ませると、「人間ができる最高の体験」の1つだとすぐに明言した。

 この訓練は1959年のことだった。シャペルはテネシー州とケンタッキー州にまたがるフォートキャンベル基地で、第101空挺師団と一緒に仕事をしていた。1942年以来、シャペルは従軍記者を務め、数十もの紛争を伝えていた。キューバ共和国のフィデル・カストロからは、「礼儀正しく小柄な米国人だが、血管の中を虎の血が流れている」と言われ、ハンガリー動乱では独房に監禁され、アルジェリア独立軍から初めて記者に認められた。スクリーミングイーグルスと共に訓練を受けたシャペルは、ベトナムで落下傘部隊と戦場に降りることを許可された唯一の女性となった。(参考記事:「写真で見る、カストロ時代のキューバ」

【ギャラリー】「虎の血が流れる」女性戦場記者ディッキー・シャペルの軌跡 写真24点(写真クリックでギャラリーページへ)
数十の作戦に従軍したディッキー・シャペルは、ベトナム戦争を取材した記者の中でも最も経験豊富な1人だった。ナショナル ジオグラフィックに載った記事の中で、シャペルは河川での戦いの様子を撮影している。写真はメコンデルタで小型砲艦に乗り組む南ベトナムの兵士たち。(PHOTOGRAPH BY DICKEY CHAPELLE, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

 訓練中、シャペルは「ジャンプの間に目をつぶる理由はない」と教えられた。この哲学はジャーナリストとしての活動に活かされた。「自分をおびえさせられるのは自分だけ」というモットーを守り、60年に韓国で降下を練習。そして、米国がゲリラと戦っていたベトナムへ向かった。その後、戦いは20年近くも延々と続くことになる。(参考記事:「弱者に寄り添う「勇敢な女性ジャーナリスト」 心に響く受賞作品18点」

【ギャラリー】「虎の血が流れる」女性戦場記者ディッキー・シャペルの軌跡 写真24点(写真クリックでギャラリーページへ)
1958年、ミシガン湖畔での海兵隊の作戦を取材中に写真を撮るディッキー・シャペル。その死から半世紀以上経った2017年、シャペルは名誉海兵隊員に連なった。(PHOTOGRAPH BY LEW LOWERY, U.S. MARINE CORPS/AP)

 シャペルの勇敢さは同時代の女性ジャーナリストの中でも屈指であり、経験の豊富さも間違いなくトップクラスだった。黒縁めがねをかけて真珠のイヤリングを着け、オーストラリア製のつば広の帽子に、ベトナムの落下傘部隊と米空軍の記章をピンで留めていた。シャペルは他の記者が行こうとしない所へ行き、自分が直接見たものだけを報じることにこだわった。だが、紛争地帯における彼女の活動はベトナムで最後となる。この地で、シャペルは米国の女性記者として初めて殉職した。何年か後、別のジャーナリストはこう伝えた。ベトナムの空挺部隊では、小柄で口の悪い、隊員と一緒に降下した女性のことがいまだに語られていると。(参考記事:「胸に刺さる、「助けの必要性」を訴える写真12点」

空への憧れ

 口の達者な中西部出身者のディッキー・シャペルは、ジョーゼット・マイヤーとして生まれた。幼い頃、憧れの北極圏探検家である海軍少将リチャード・“ディッキー”・バードにちなんだニックネームを自ら付け、パイロットか航空宇宙エンジニアを夢見た。14歳で航空雑誌「U.S.エアサービス・マガジン」に「なぜ私たちは飛びたいのか」という文章が採用されて初めて原稿料をもらった。16歳でマサチューセッツ工科大学に入学。その年の女子新入生は他に6人だった。6年後、海軍のカメラマンをしていた40歳のトニー・シャペルと結婚。間もなく、トニーは彼女の取材活動のパートナーになった。

「何かで必ず『女性初』になりなさい」。駆け出しの頃、シャペルはニューヨークのある編集者からこうアドバイスされた。

【ギャラリー】「虎の血が流れる」女性戦場記者ディッキー・シャペルの軌跡 写真24点(写真クリックでギャラリーページへ)
共産主義の宣伝材料を持っているのが見つかったベトコンの捕虜が、敵軍の前を歩く。(PHOTOGRAPH BY DICKEY CHAPELLE, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

 それは現実になった。第二次世界大戦中の1942年、シャペルは軍から認められた初の女性記者の1人になった。が、認可はすぐに取り消されてしまう。戦闘地域に女性記者が上陸することは禁じられていたのに、それを無視して海兵隊に同行し、沖縄に入ったためだ。終戦の頃までに、シャペルはすでに9冊の本を出していた。ほとんどが航空に関わる女性たちについてのものだ。雑誌「セブンティーン」の編集の職も得ていた。

 それでも、海外報道への関心は捨てられなかった。シャペルはトニーと共に戦争の余波を撮り始め、援助機関や米国国務省のボランティア写真家として20を超す国々を訪ねた。落ち着いた生活になりかけると、決まって戦争に呼び戻された。シャペルは航空会社や研究所の広報担当も務めたが、ハンガリー動乱を取材したいという思いを抑えられなかった。その結果、1カ月拘束され、釈放のための資金をトニーが集めて回ることになった。その後、シャペルは紛争から紛争へ飛び回り始め、危険にひるむことなどないかのようだった。(参考記事:「ギャラリー:内戦から20年、断絶つづく故郷ボスニアへ 写真16点」

次ページ:『女がここで何してるんだ?』

おすすめ関連書籍

ピュリツァー賞 受賞写真 全記録 第2版

米国内で発表された優れた報道・作品に授けられる「ピュリツァー賞」。時代を映す報道写真集の決定版に、2015年までの最新受賞写真を加えた改定版。

定価:4,290円(税込)

おすすめ関連書籍

戦争の地図

歴史に残る、世界18の戦い

戦争はいかに始まり、拡大し、終結を迎えるのか。古代ギリシャ時代から現代まで、18の戦争を取り上げて詳細な地図と共に解説する。

定価:1,540円(税込)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo Stories 一覧へ