Photo Stories 撮影ストーリー

ウガンダ北部、パギリンヤ難民キャンプの自宅で過ごす、シャロン・キデさんと子どもたち。南スーダンの母たちは、自らも困難な状況にありながら、難民キャンプで成長しなければならない子どもたちのために家を建てている。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)

難民キャンプに我が家を建てる、南スーダンの女性たち 写真14点

2018.05.18

内戦のぼっ発

 1950年代に第一次スーダン内戦が始まり、国内の北部と南部の間で争いが激化した。そして2011年、ついに南スーダンが分離独立して共和国を建国した。メアリーさんと夫は、南スーダンの新たな首都ジュバに明るい未来があると信じて移り住んだという。(参考記事:「南部スーダン 独立への苦闘」

 現在5歳になる息子は、首都のはずれにメアリーさんの夫が建てた家で生まれた。壁と屋根がわらでできた簡単な小屋だった。「ここと比べるととても粗末な家でした」。自分で建てたレンガの家を見ながら、メアリーさんはそう語った。

 農民の娘として育ったメアリーさんは、ジュバに出てきて初めて、色々な仕事があることを知った。兵士だった夫がささやかな投資をしてくれたおかげで、玉ねぎとトマトを買い、舗装された道路に並べて売った。舗装道路も、メアリーさんにとっては初めて目にするものだった。

パギリンヤ難民キャンプでは、一時しのぎのテントが姿を消し、代わりに自然の素材で作られた家が目立ち始めている。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)
パギリンヤ難民キャンプでは、一時しのぎのテントが姿を消し、代わりに自然の素材で作られた家が目立ち始めている。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)

「何でもやりたいことがやれると思いました。商売をして、子どもを学校へ行かせ、両親に仕送りだってできると」

 2013年12月、メアリーさんは銃声に叩き起こされた。政府軍と、大統領の政敵である前副大統領の武装勢力の間で戦闘が発生したのだ。ジュバだけで、数百人の死者が出た。

「夢は悪夢に変わってしまいました」。メアリーさんは、家族と一緒に南東部の山奥へ逃げ込み、そこで女の子を出産した。

 2016年、紛争は拡大した。兵士らがメアリーさんの村を襲撃し、トゥクルに火を放った。夫と離れ離れになったメアリーさんは、2人の子どもを連れて逃げた。9日後、彼女はパギリンヤへたどり着いた。ここで夫と再会したが、夫は間もなく南スーダンへ戻っていった。昨年、その夫が殺されたという知らせを受けた。

【ギャラリー】難民キャンプに我が家を建てる女性たち 写真14点(写真クリックでギャラリーページへ)
【ギャラリー】難民キャンプに我が家を建てる女性たち 写真14点(写真クリックでギャラリーページへ)
ウガンダ北部の自宅近くで、子どもと一緒に座る南スーダン出身のエマレダさん。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)

 メアリーさんがマンデーを連れて自宅へ戻ってからわずか数時間後、急に空が暗くなった。家々の間を強い風が吹き抜ける。外で遊んでいた2人の子どもが、はしゃぎ声をあげて家の中へ駆け込んできた。するととたんに、大粒の雨が降り出した。

 おかゆが出来上がり、煙もおさまった。自分で木を削って作ったというスプーンを使って、メアリーさんは子どもたちに食事を与えた。わらぶき屋根から、糸にぶら下がったクモが降りてきた。

「この家を見ながら、色々なことを考えます。夫が最初に家を建てたときのこと。自分でこの家を建てたこと」

 今の生活は、ジュバで夢見ていた生活とは大きくかけ離れている。生まれ育った村の生活とも、もちろん違う。だが、嵐のなか家族で身を寄せ合い、マンデーの小さな顔についた泥を手で払うメアリーさんを見ていると、彼女が自分の手で建てたこの家は、ただ雨風をしのぐためだけのものではないことがはっきりと分かる。ここが、メアリーさんにとってのわが家なのだ。

難民キャンプ内の公園に置かれた滑り台で遊ぶ子どもたち。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)
難民キャンプ内の公園に置かれた滑り台で遊ぶ子どもたち。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)

【この記事の写真をもっと見る】ギャラリー:難民キャンプに我が家を建てる女性たち あと6点

文=Denise Hruby/写真=Hannah Reyes Morales/訳=ルーバー荒井ハンナ

Photo Stories 一覧へ