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ウガンダ北部、パギリンヤ難民キャンプの自宅で過ごす、シャロン・キデさんと子どもたち。南スーダンの母たちは、自らも困難な状況にありながら、難民キャンプで成長しなければならない子どもたちのために家を建てている。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)

難民キャンプに我が家を建てる、南スーダンの女性たち 写真14点

2018.05.18

 陣痛が始まり、メアリー・ナカニさんは、一番近い産院まで歩いて行くべきかどうか思案した。産院へ行けば、薬もあるし、助産師もいる。だが、休まずに歩いたとしても、最低45分はかかる距離だ。ましてや、陣痛に襲われ休み休み行けば、どれほどの時間がかかるか。間に合わなければ、途中で出産しなければならない。自宅にいれば、人目につくことなく安全に出産できる。数カ月前にメアリーさんが自ら建てた家は、伝統的な円形をしており、床はあまり衛生的ではないが、産院へ行く危険を冒すよりは、ましなような気がした。

 南スーダンの文化では、妊婦は出産のときに声を上げてはならないとされている。メアリーさんも、うめき声ひとつ立てることはなかった。夜の闇を切り裂く最初の叫びは、生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声だった。女の子だ。メアリーさんは、月曜日に生まれたその子をマンデー・カドングと名付けた。しばらく冷たいレンガの壁にもたれて休んでから、家にたった1本だけあったナイフでへその緒を切った。ナイフは使い古して、刃先がすり減っていた。その後、ウガンダ北部のパギリンヤ難民キャンプにある産院まで歩いて行った。

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メアリー・ナカニさんと子どもたち。南スーダンで現在も続く内戦のなか、どの子どももそれぞれ大変な時期に生まれた。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)

 キャンプ内をまっすぐに走る赤土の道路沿いには、濁った水が出る井戸や仮設トイレが並んでいる。キャンプに住む3万人以上が使うには、とても数が足りない。内戦や災害を逃れた人々が身を寄せる仮設テントが並ぶ様子は、難民キャンプを象徴する風景だ。ここパギリンヤも、2年前は白い防水シートのテントがひしめくように建っていたが、今はそのほとんどが姿を消し、泥レンガの家に変わっていた。トゥクルと呼ばれる南スーダンの伝統的な住まいは、直径4メートルほどの円錐形で、熱を逃がすよう、わらぶき屋根にしてある。このような家が増えると、一時的な避難先であるはずの難民キャンプは、人々が腰を落ち着けて長く住む集落のように見えてくる。(参考記事:「シリア難民、落ち着き場所は見つかるか」

 南スーダンの内戦により、約250万人が難民となり、ウガンダなどの近隣諸国に流れ込んだ。また、国内でも反政府集団や政府軍が村々を襲って略奪を繰り返し、200万人が家を失った。世界で最も若い国家である南スーダンは、誕生してからわずか7年。平和な時期よりも紛争状態の方がはるかに長い。独立後2年ほどしか経たないうちに、政治家同士の対立によって内戦がぼっ発したのだ。和平が実現しそうな時期もあったが、2016年に紛争が再燃。和平協議は続いているが、専門家も難民も、和解の望みはとうの昔に失った。(参考記事:「スリランカ 癒えぬ内戦の傷痕」

 国連は、建国以後生まれた生粋の南スーダン人の第1世代の大部分が、難民キャンプで成長すると予測している。パギリンヤだけでも、毎月約40人の赤ちゃんが誕生している。キャンプに長く住める家を建てているのは、ほとんどが女性たちだ。国連によると、全難民の85%が女性と子どもであると推測される。パギリンヤでも、成人女性のほうが男性と比べて2倍多い。(参考記事:「南スーダン、深刻な食糧不足危機」

生まれたばかりの娘を抱いて、歩いて家へ帰るメアリーさん。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)
パギリンヤ難民キャンプの産院で、毛布に包まれて横たえられた赤ちゃんのマンデー。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)

 女性たちが自ら建てたという家を見れば、彼女たちがどんなに粘り強いか分かるだろう。グレイス・オンドアさんは、18カ月間たきぎを拾い集めて市場で売り、家を建てるだけの金を貯めた。自分の子どもが3人、そのほか両親を失った甥と姪が9人いるので、大きな家が必要だった。「夫は出て行きました。子どもが多すぎて、支えきれなくなったんです」

 数軒先に住むシャロン・キデさんの夫も、仕事を探すためにどこかへ行ってしまった。シャロンさんは、配給されるわずかな食料の約5%を売り続けて1年、現在の家を建てるのに必要な4本の柱を購入した。幼い娘と息子がいるが、住んでいた村が軍に襲われた時、ひとりを背負い、もうひとりを腕に抱えて逃げた。「これが私の家です。自分の手で建てました」と、彼女は言う。

 家父長制が根強い南スーダンでは、家は男が建てるものと決まっている。しかし、今は女性たちもその役割を担うようになったと、国連人口基金のアンドレア・グリナン氏は言う。「ここでは、女性が力をつけ始めています」。男性の助けがなくなったとしても、事態は悪い方向へは働いていないという。「時には、変化が良い結果をもたらすことがあります。そしていずれは、このことで女性たちが自分の生き方についてもっと多くの決定権を持てるようになればと思います」

ウガンダ北部の産院で過ごす南スーダンの女性たち。(PHOTOGRAPH BY HANNAH REYES MORALES)

 メアリーさんも、そんな女性のひとりだ。産院で痛み止めをもらい、マンデーのへその緒をきれいに処置してもらって、自宅へ戻ったメアリーさんは、さっそく家の中で火をおこして、おかゆを作り始めた。狭い家に煙が充満する。窓代わりの小さな三角形の隙間があるが、煙はあまり外へ排出されていない。

「この家のために、何でもやりました。誰の助けも借りずに自分で建てたんです」。おかゆをかき混ぜながら、メアリーさんは語り始めた。

 土を掘り、それに水と草を混ぜてレンガの形にして、日干しにした。森の中で草を刈り、束にして頭に乗せて運んでくると、レンガを積み上げて屋根をふいた。

 屋根を壁にくくり付ける縄を買う必要があったため、配給された穀物から毎回一握りずつ取り分けて売った。1カ月間最低限の生活を続け、5000ウガンダシリング(約148円)を貯めた。井戸から汲んだ水を缶に入れて市場へ運び、さらに1日500ウガンダシリングを稼いだ。こうして3カ月後、いよいよ家を建て始めた。

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