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8歳のデラガ・クアンダガは、実際の年齢よりも大人びて見える。ヨーロッパへの旅がいかに過酷であるかを、アフガニスタンにいる両親には伝えていない。「親からは、つらいことはなかったかと聞かれたけど、『なかった』って答えた。心配してほしくないから」(PHOTOGRAPH BY MUHAMMED MUHEISEN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
8歳少年の不安
8歳の内気な少年デラガ・クアンダガは、難民センターの中をぶらぶらとして時間をつぶしていた。
ここアダセブシ難民センターは、かつてモーテルだった建物(正面玄関の上には、モーテルの看板が掲げられたままになっている)を再利用した施設で、政府が運営する難民センターの中でクロアチアとの国境に最も近い。森の中にあるエマルの隠れ家からも、車でわずかの距離にある。センターに暮らす家族は窮屈な部屋をあてがわれ、単独の男性や少年たちは、建物の周囲にある麻布をかけただけの格納庫に、簡易ベッドとともに押し込められている。(参考記事:「船上はパニック、地中海での移民救助に同行」)
10代の若者たちと支援団体の職員が、外でバレーボールをしていた。大人たちは、モーテルのロビーだった場所でWiFiホットスポットの周りに集まっていた。その横を、小さな女の子が洗濯物の入ったプラスチック製のバケツを手に、おずおずと通り過ぎる。セルビアにいる多くの少女難民同様、この子も家族と一緒に移動していた。
ユニセフのサン・ロット氏は、未成年の少女が保護者なしで移動しているケースは、あったとしてもごくまれだという。少女の方が、性的暴行や肉体的暴行を受ける危険性が高いためだ。また、多くの子ども難民の祖国である南アジアや中東が、保守的な男性社会であることも影響している。(参考記事:「最悪の瞬間はレイプの後に訪れた、弾圧される民族ロヒンギャ」)
クアンダガは、現在寝泊まりしている格納庫へ戻って行った。「ここには何もない」。その灰色のTシャツと首に巻いた黒いマフラーだけでは、朝の冷たい空気から身を守ることはできない。皮膚感染症に冒された肌には、鳥肌がたっていた。
クアンダガは、1年前に10歳のいとこと15歳のおじとともにナンガルハールを発った。家から持ってきたものは何もなく、迫撃砲火に紛争、凶悪なタリバンの兵士に遭遇するといった経験をしてきた。思い出は、友だちとクリケットをして遊んだり、両親と4人の弟や妹たちと食卓を囲んだこと。「幸せだったときのことを思い出す。ここでは悲しいことばかりだ」
フランスには多くのアフガニスタン人がいるという噂を聞いたので、自分もフランスへ行きたいと話す。「あそこには平和がある」。平和はセルビアにもあったが、彼の思い描くEUのユートピアではなかった。
「ゲーム」をやろうとは思わない
旅に出る前はヨーロッパがどこにあるのかすら知らなかったが、イラン、トルコ、ブルガリアを通ってセルビアにたどり着いた。それまで、家から最も遠くまで出かけたのは、毛布を売りに父親に連れられて訪れたパキスタンだった。
クアンダガは、自分やいとこ、それに若いおじがイランで「タリバンのようなマシンガンを持った連中」に殴られ、拘束され、持ち物を奪われたことを、両親には話していない。また、物取りは小さくてか弱そうなクアンダガの身体検査までしないだろうと思って、おじが所持金をクアンダガの下着の中に隠したことや、涙を流したことも話していない。家族には心配をかけたくないためだ。
ベオグラードでクアンダガは一時、モハメドと同じ廃屋の倉庫で寝泊まりしていた。暖を取るためにたき火をたき、「朝起きると顔が真っ黒になっていた」という。
クアンダガは、エマルのように「ゲーム」をやろうとは思わない。「道は閉ざされている。誰も国境を越えられる者はいない」と語る。時々、家に戻りたくなるという。次に何をすればいいのかわからない。何の計画もない。「何もない。今やれることは何も」(参考記事:「弱者に寄り添う「勇敢な女性ジャーナリスト」 心に響く受賞作品18点」)
特集:ヨーロッパの入り口で足止めされる少年難民たち
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